古いものをたどって東京の街を歩く、という本が最近多い。「古いもの」が戦争関係であったらどうか。それも楽しいのだ。もちろんウキウキする楽しさではないが、「忘れ去られた、あるいは忘れてほしいかのように埋もれた遺跡」の存在にドキドキさせられる。
有名な公園の多くは軍用地であったということをこの本で知った。北の丸公園は、近衛師団の駐屯地だった。北の丸公園には歩兵第一連隊の碑がわかりやすいところにある。でも第二連隊の碑は奥まったわかりづらい場所にあるという。場所に意味などなかろうが、なんだか第二連隊の碑が見にいきたくなる。第二連隊の碑のそばには「岳麓山百合移植の碑」があり、そこには命令調で「できるだけたくさんの山百合を採ってきて兵営に植え、個数を報告しろ、最低一株は採れ」とある。「江戸歩き案内人」の著者も「想像がふくらみます」と書いている。
北の丸公園を出て、千鳥ケ淵にいくと高射機関砲台座跡がある。皇居を守るために設置されたもので、地下にはトンネルがあったらしい。春はこのあたりで弁当でも広げたい。ほかに代々木公園、日比谷公園といったあたりは元軍用地っぽいよなと思うが、光が丘公園までもそうだったとは思いもよらなかった。B29へ体当たり攻撃する特攻機がここから飛び立ったのだ。爆撃から戦闘機を守る掩体壕が近くに残っている。
赤坂の道端、自動販売機の横には近衛歩兵第三連隊駐屯地の敷地境界を示す「境界石」が立っている。東京ドームの脇には、陸軍の兵器工場だった東京砲兵工廠の基礎レンガが残る。戸山公園には、陸軍軍楽学校野外音楽堂の跡が六角形の小さな広場として残っている。北区立中央図書館は、弾丸製造工場を利用して造られており、鉄骨は九州の八幡製鉄所製で関東大震災でもびくともせず「ヤワタ」の文字が読める……。
戦争遺跡は日本中に残っているのだろう。けれど首都東京に残る戦争遺跡は、その埋もれ方も特別な感じがして良い。
※週刊朝日 2015年3月20日号