――え、SEになりたくなかったんですか?

 プログラミングが私より得意な人が周りに大勢いたので、プログラミングを職業にするのは嫌でした。大学院では生体信号を測る生体工学の研究をしました。医学と共通する分野なので、修士課程を修了したらある私立大学の医学部助手になると決まっていたんです。そうしたら私立大学医学部が入学予定者に課していた多額の寄付金が社会問題になって、その結果、多くの私立大学で寄付金を返還することになり、その余波で私のポストがなくなってしまった。それが2月のことです。もう修論はできているし、留年もできないタイミングで、仕方がないので4月から工学部の研究生になりました。

 大学3年生のときに父が亡くなり、それから奨学金をもらってきましたが、研究生は奨学金をもらえない。経済的にはピンチですよ。塾で数学を教えたり、コンピューター関係の仕事を請け負ったり、アルバイトに精を出しました。

 6月になって朝日新聞で「日立製作所で植物工場をつくっている」という記事を見た。面白そうだと指導教官に言ったら、その研究リーダーは指導教官と大学の同級生だった。紹介してもらって日立の中央研究所(中研)に遊びに行ったら、翌日「合格したから」と言われた。要するに翌年に採用されることが決まったということです。

 当時、女性の大卒は募集していなかったので10月に高卒用の試験を受けました。大学入試よりずっと簡単だった。こうして4月から中研で植物工場の研究を始めました。

 仕事は面白かった。でも3カ月たったら、お給料が下がったんです。

>>【後編:「かわいいは世界の争いをなくす」女性感性工学者 69歳 東大を出ても「女性は高卒待遇」から大学教授に】に続く

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