瞳みのるさん
瞳みのるさん

――「シーサイド・バウンド」、「モナリザの微笑」(1967年)と始まる初期のヒット曲から始まるプログラムが素敵でした。久しぶりにみなさんでステージに立たれた感触はいかがでしたか?

瞳:念入りにリハーサルをやったし、平常心で取り組んだつもりなんですが、ちょっとしたハプニングはいろいろとありました(笑)。でもやっぱり大勢のお客さんを前に演奏するというのは気持ちいいですね。オリジナルのヒット曲だけでなく、洋モノの曲をやれたのも良かった。オリジナルはもちろん大切な曲ばかりなんだけど、どこか”人に与えられたもの”という意識がある。その点、洋モノの曲はアマチュア時代から、自分たちで好きなものを決めて演奏してきてるでしょう。デイヴ・クラーク・ファイヴの「Do You Love Me」(1964年)なんて、一番僕たちらしい、原点の曲だと思います。

――「花の首飾り」(1968年)は元々、加橋かつみさんがリードボーカルの曲ですが、今回は不参加ということで沢田さんが歌いました。最近、加橋さんと連絡を取られることはありましたか?

瞳:今回のライブに誘おうと、沢田やタローが何回も電話したのだけど、出ないそうなんです。だから僕はあえて連絡を取るのは控えてるんだけど、グループサウンズの仲間には「瞳は最近どうしてるの?」としきりに訊ねてるらしいんだよね(笑)。今は少し距離を置いてるけど、元々、幼馴染。やっぱり僕たちのことが気になってるのかもしれません。

――演奏にもいろんな感動や気付きがありましたが、25分強のロングMCも印象的でした。

瞳:実は2、3個、曲目を減らしたんです。それで空いた時間をMCにあてようと。内容は特に打ち合わせず、出たとこ勝負でしたが思いのほか盛り上がったんじゃないでしょうか。カルーセル麻紀さんがいたゲイバー「カルーゼル」で演奏した話とか、内田裕也さんにスカウトされて渡辺プロダクションに決まるまでに、スパイダクション(現・田辺エージェンシー)や上条英男さんにもスカウトされていた話……大阪時代の話題が多かったですね。みんな忘れてたり記憶違いをしてたり、なかなか話がまとまりませんでしたが(笑)。

 沢田はつくづくおしゃべりが上手になったなと思います。まだデビューする前の1966年6月25日、大阪のナンバ一番で彼の18歳のバースデーライブをやった時のテープが残っているんです。その時の沢田のMCなんて「今日は僕の誕生日です。18歳になりました。では次の曲は…」くらいのもんですよ。当時は、もしかして年長の僕たちに遠慮していたのかもしれないけど……それか、どこかで別の人間に入れ替わっちゃったのかもしれません(笑)。

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打ち上げは焼肉。沢田は僕より食べてました(笑)