医師:そうでしたか。Hさんの以前のことは、あまり伺っていませんでしたね。
Hさん:定年後は、妻と、実はいろいろとありましてね、お恥ずかしい話ですが。「え、お前そんなこと考えてたのか」とか、妻は妻で「私、あなたがこんな人だとは思わなかった」なんて、いろいろありました。でもね、先生、そんな、下手すれば熟年離婚にもなりかねない事態を乗り越えて、再びいい夫婦になれたと今では思っています。妻は去年亡くなりましたが……。で、子どもたちも本当に「親はなくとも子は育つ」と言う通り、立派に育ってくれて、楽しい家庭を築いてくれました。
医師:ときどきお見えになるお孫さんや小さなひ孫さんたち、Hさんと楽しそうにしていますよね。見ていて、本当にうらやましいです。うちの子たちもあんなになれるか、心配ですよ。
Hさん:ありがとうございます。先生にそう言ってもらえると、本当にうれしいですよ。でも、妻が先に逝ってしまったときは「なんで?」「どうして俺が先ではないんだ?」と気持ちの整理ができませんでした。
医師:そうでしょうね。
Hさん:……で、今後のことなんですが、頭がしっかりしている今、自分で決めておきたいんです。幸せな人生なんて、答えが一つではないので分かりませんが、少なくとも自分で決めた生き方であれば、人を恨んだり、後悔したりすることはないはずです。ただ、痛くて苦しむのはいやなので、緩和ケアはお願いしたいのですが、がんを治したり延命したりするための治療はもういい、と考えています。
【このときの医師の気持ち】
今考えてみると、Hさんとは、これまで病気、薬、治療、副作用など、当然と言えば当然だが、医師と患者という関係、文脈で、病気に関することしか話題にしなかった。しかし、今回じっくり話を聞いてみて、「同じ」病気でも人によっては受け止め方、がん告知後の気持ち、治療に対する態度、考え方が微妙に、あるいは相当違っていることがあらためて実感できた。