元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
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前にもチャットGPTのことを書いたが、当時は「出始め」だったのでまあノーテンキ。だがコトはあれよという間に国際政治を揺るがす騒ぎとなり、今や一般人から有識者まであらゆる人がこのことを話題にしている。で、ご存じのようにこの方面にとんと疎い私は、それを興味を持って眺めているわけです。何しろよくわからないもんで。結局のところ、チャットGPTって何なの?
で、結論から言うと、今もわからないままである。
いやね、質問を投げかけると自然な文章で「よくできた回答」を返してくれるってことまではわかる。そのよくできた回答の中に少なからぬ誤情報がシレッと交じっていることもわかった。なぜそうなるのかも多少はわかったつもり。で、そのことが社会に深刻な混乱や分断を引き起こしかねないと懸念されていることもわかる。
でも、私にはもっと肝心なことがわからない。
これって一体何に使うの?
断片はわかる。テーマを与えれば膨大なデータの中から一定レベルの答えをくれるので、レポート作成時に超便利とか。でも私自身は「おおそれなら使ってみるか!」ということを一つとて発見できず。例えば私が苦労して書くコラムよりチャットGPTの方が断然面白いものを瞬時に書くとして、私には書くという行為こそが宝なのだ。書く場をヤツに取られたとてその事実は変わらない。
何より一番よくわからないのが、この「画期的技術に期待」する人が多いっぽいってことである。チャットGPTのある世界が、ない世界よりバラ色であると。その具体的イメージがさっぱりわからない。現代の待ったなしの深刻な課題といえば、気候変動であり分断の激化であり、それに伴う殺し合いであろう。その一つとて、この新技術が何らかの良い作用をもたらすのか? 私には逆の作用しか起こさない気しかしないが、それでもこれに熱狂する社会。そのことが全く理解できない自分と社会の分断に底知れぬ恐怖を感じる私である。
◎稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
※AERA 2023年6月12日号