いま「エアビズ」と呼び香り分野に力を入れる。自宅や職場だけではなくホテルや病院のロビー、駅の待合室などに流す居心地のいい香りで、社会を変えたいと思う(撮影/狩野喜彦)
いま「エアビズ」と呼び香り分野に力を入れる。自宅や職場だけではなくホテルや病院のロビー、駅の待合室などに流す居心地のいい香りで、社会を変えたいと思う(撮影/狩野喜彦)

 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA 2023年6月5日号の記事を紹介する。

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 1986年2月、日産自動車の海外事業本部で中南米への輸出営業の担当だったとき、同じ部署の1年先輩の女性と2人で北海道網走市へいって、海岸から流氷群を観た。24歳になる直前。大自然が創る壮大な風景に、心の中にあったもやもやは、一掃された。

 入社して2年目の終わり。自動車は部品から製造工程までが複雑に映り、理解できず、どう販売戦略を立てるべきかで悩んでいた。車好きには程遠く、利用者がどんな気持ちで車を選ぶのか、想像も難しい。「いつか女性に照準を合わせた製品をつくり、長く愛されるブランドにしたい」との目標も、商品もお客も理解できなければ、遠い。「このままここにいて、やりたいことがみつかるのか」との思いが強く、もどかしかった。

■やりたいことをやりたいように 生まれた貴子流

 日常と全く違うところに身を置けば、新たな道がみえるかもしれない。そう思って、先輩を誘い、旅の計画を立てた。岸の近くまで押し寄せた流氷群は、非日常そのものだった。

「日本にも、こんなに大きくて素晴らしい自然がある。自分がくよくよしていることなど、どうでもいいくらい小さいな」

 悩みは、吹っ切れた。プライベートで抱えていた問題も、重荷でなくなった。「これからは自分らしく、やりたいことをやりたいようにやろう」と、流氷群を前に心で誓う。これが、ビジネスパーソンとしての歩みの『源流』となった。雪の中にひざまで沈み、オホーツク海を背にした写真は、先輩が撮ってくれた。いまも、携帯電話に収めている。

 実は、網走までいくのに、回り道をした。先輩とは羽田空港から別の飛行機で女満別空港へ行き、網走で合流する計画で、先輩は予定通りにいった。自分は出発時間の昼夜を間違え、夕方に羽田に着くと、乗るはずの飛行機はとっくに出ていた。一瞬、「もう終わりだ」と思う。

 だが、何としてもいきたい。道があるはずだ、と探した。すると、夜を挟んで仙台経由でいく方法がある。「これだ」と思って上野駅へ向かい、東北本線で宮城県の白石駅にいき、朝を迎えてタクシーで仙台空港へ。女満別空港へ飛び、網走で合流できた。

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