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「これまでだったら、政治に不満があったとしても、一線は越えませんでした。言葉で説得しようとしたはず。テロでその国の指導者を殺そうとはしませんでした。暴力で倒しても、自分の考えが実現できるわけはありません。そういう考えを戦後の日本の民主主義がつくりあげ、実践してきたからです。その一線を1年足らずの間に2度も越えたのは、社会が変わりつつあるという気がして、『新しい戦前』という言い方も成り立つと思います」
100年前と現代──。昭和史研究者で、学習院大学前学長の井上寿一(とすかず)同大教授は、両者には共通点があると指摘する。
「いずれも政党政治の行き詰まりがあり、国民の意思が政治に反映されず政治が変わらないことへの閉塞感が根底に流れています」
原敬が暗殺された4年後の1925年、政友会と憲政会(のち民政党)の二大政党制が成立する。国民は両政党が政策を競い合い、よりよい政策を出す側に投票したいと思っていた。だが、政党同士の党利党略を巡っていがみ合い、ネガティブキャンペーンによるつぶしあいが始まり、国民の間に政党不信が高まった。
「現代も、支持政党は世論調査で『支持政党なし』が常に上位に来ます。国民の大多数は政権交代を求めていますが、それに野党は応えられていません。政治の機能不全に対する不満を、比較的多数の国民は抱いていると思います」(井上教授)
岸田首相を襲った容疑者は、動機など詳細は不明だが、現行の選挙制度や既成政党への不満を繰り返し主張。年齢などを理由に参院選に立候補できないのは不当だとして、国に損害賠償を求める訴訟を起こしていた。
井上教授はさらに、100年前と現代で「社会に対する不安を国民は抱いている点も共通している」と言う。
30年、世界恐慌の影響を受けた日本は昭和恐慌に陥り、深刻な経済状況を生み出した。農村は疲弊(ひへい)し人々は困窮するが、財閥や資本家は富を独占し、国民の不満は高まった。
「現代も、格差や貧困が広がり、原油高騰や円安による急激な物価高に賃上げが追いつかず、閉塞感が社会に充満しています」(井上教授)
(編集部・野村昌二)
※AERA 2023年5月22日号より抜粋
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