撮影/写真映像部・上田泰世
撮影/写真映像部・上田泰世

 丸谷さんは70年代から週刊図書館で書評され、80年代後半からは向井敏さんや藤森照信さん、三浦雅士さんら丸谷さんチームとも呼ぶべき人たちが書評欄を読ませるものにしました。扇谷さんの時代、丸谷さんの時代を含めて、書評のお手本を作ったのが週刊朝日だと思います。

斎藤:週刊図書館の書評をまとめた3巻本『春も秋も本!』『ベッドでも本!』『本が待ってる!』が刊行されていて、その中で丸谷さんが、戦前の新聞に載った小林秀雄の書評は「すこぶる魅力の乏しい書評」とばっさり批判していますね。

永江:1951年当時は、まだ本が本当に刊行されていなくて、年間の発行点数がわずか1万5千点です。

斎藤:用紙も不足していたでしょうね。まだ占領下ですしね。

永江:驚いたのは週刊図書館が始まって間もなく、岡倉古志郎『死の商人』(岩波新書)で論争が起きていることですね。匿名の評者が「デタラメを拾えばキリがない」のタイトルでボロクソに書評して、それに対して岡倉さんが「書評子の良心を疑う」と反論し、さらに書評者が再反論している。週刊誌書評がじつにイキイキしていた。

斎藤:それだけ影響力があったということですね。週刊朝日に書評が載ると「再版確実、誉めてあれば三版確実と言われました」と扇谷さんが回顧しています。

永江:「王様のブランチ」で優香が「泣きました」というとベストセラーになった頃がありましたが、そんな感じでしょう。

 50年代の週刊図書館は2ページだったり4ページだったり、決まったページ数ではない。

斎藤:活版印刷ですから今のような凝ったレイアウトもできず、来たものを流し入れるみたいな感じだったのでしょう。

 扇谷さんが書評委員制度を作ったのは画期的でしたね。

永江:最初の書評委員チーム5人の年齢を調べてみたんですよ。

扇谷正造 38歳

臼井吉見 46歳

浦松佐美太郎 50歳

河盛好蔵 49歳

坂西志保 55歳

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