■「マウンティング」しないから「アンチ」が少ない

「文学系アイドル」は、教養や文才を誇示することで、「芸能人としてのスペック」に収まらない「私」をアピールします。松田聖子や中森明菜も、仕事を離れた「私」の姿でファンを引きつけました。

 アイドル時代の小泉今日子は対照的です。歌詞を書いて「自己表現」することには及び腰、教養自慢もせず、恋愛騒ぎも仕事に反映させない――芸能活動を離れた「私」が表に出ることを、避けていたようにも映ります。
 
 先に触れた「月刊カドカワ」1990年10月号の小泉今日子特集に、精神科医の香山リカは書いています。

<記号で表現される――つまり、メディアを通して私たちの目に触れる――キョンキョンは、偉大な精神分析家といわれるJ・ラカンの説を待つまでもなく、“記号内容の上を絶えず横すべりしている”。

 キョンキョンの歌、CM、衣装、スキャンダル。

 それらは凝視されればされるほど別の記号にするっと逃げ込もうとするばかりで、その記号が意味しようとするキョンキョンを読み取ることなんてできた試しはない。

(中略)ウルトラマリンの深い淵に沈むキョンキョンの真実は、あくまで縁からそっとのぞくことしか許してくれないみたい>(注6)

 小泉今日子が、きわだって「『私』を見せないタイプ」と思われていたことがわかります。
最初は◯◯することは恥ずかしかったけど、やっていくうちにそうではなくなった――彼女のインタビューを見ると、この種の言いまわしがたびたび現れます。

<この年(1985年)のツアー「Kyon2 panic85」が始まるまで、ステージに立ちたくないとか家に帰りたいって思ったりしてたんだけど、これからそういうことがなくなった気がする>(注7)

<歌詞を小泉今日子で書き始めたのもこれ(1987年のアルバム「Phantasien」)が最初(それまでは「美夏夜」というペンネームを使っていた)。なれてきて、恥ずかしくなくなってきて>(注8)

<長い時間があったから、少しずつ恥ずかしくないことも増えているという感覚があるのね。(中略)文章を書くこともずっと恥ずかしかったけど、たとえば書評委員会も二年で辞めていたら、やっぱり中途半端で恥ずかしいまま終わっていた気がする>(注9)

 彼女は、人前に心身を投げ出す必要にせまられると、まず「恥ずかしい」と感じるようです。「シャイ」で「私」を見せたがらない人間として、きわめて自然な反応といえます。 

 そうした「恥ずかしい」ことから逃げ出さず、「私」をさらすのとは別のアプローチで取り組もうとするのが、小泉今日子の流儀に見えます。他人から吸収したものを「自分らしい」形にして発信する――この「得意技」で勝負できる道を探すわけです。ライヴも作詞も書評も「恥ずかしくなくなった」のは、おそらくそれに成功したからです。

 小泉今日子が手がけた歌詞を見ると、「自分以外の何か」の「尊さ」や「儚さ」が簡素な言葉で綴られているものが目につきます(彼女が愛読している大島弓子の漫画を思わせます)。女性歌手の自作歌詞は、「あなたをこんなに愛してる『私』」を声高に主張するものになりがちです。そういう類いの作品と、小泉今日子が描く世界は異なります。

 彼女の著す書評にも、難解な用語や奇をてらった論法は現れません。誰にでも書けそうに見える平易な語り口で、対象としている本のすばらしさを読者の心に沁みこませます。

 作詞でも書評でも、「私」をさらすのとは違うやり方で、小泉今日子は成果をあげています。「シャイ」な自分を変えることなく、体も言葉も公共の場に露出させる――そんな矛盾する営みを、30年間、彼女は続けてきました。

 したがって小泉今日子は、「マウンティング=『私の方が上なのよ』アピール」とは無縁です(「マウンティング」イコール「私」自慢なわけですから当然です)。

 男性にくらべ、女性が複雑なやり方で「マウンティング」しあうことは、しばしば話題になります(注10)。男性の「偉さ」を決める要因は、年収や職業など、いくつかに限られます。これに対し、女性同士の「どっちが上」を決める尺度はさまざまです。40歳で「独身・子どもなし・年収1000万円」と「専業主婦・子ども一人・夫の年収500万円」――両方に「私の方がエライ」と主張する言い分があります。

 ほとんどの女性が込みいった「マウンティング」合戦に巻きこまれ、疲弊しているようです。このため、自分から「マウンティング」をしないタイプの女子は、同性から全方位的に好かれると、様々な文献で指摘されています。

 小泉今日子は昔から、女性の「アンチ」がほとんどいませんでした。松田聖子や中森明菜とくらべても、この点は際立っています。

 芸能人が書評のような「文化系活動」に乗り出すと、「無知なくせに見栄を張って」と批判を浴びせられたりします。そういう声も、小泉今日子に限っては聞こえてきません。

「私」をさらすことが苦手だから「マウンティング」しない――この性質が、小泉今日子の「敵の少なさ」の大きな理由だといえます。

「文学系アイドル」は、文才や教養を示すことで「マウンティング」しようとしていた人たちです。彼女たちがスキャンダルを起こしたときに、同性が向けた目には厳しいものがありました。このことも、小泉今日子の「嫌われない理由」を、反対側から物語っています。

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