それから10年ほど経ったとき、父親が、自分の職場に自動車で向かう途中、飛び出てきた子供を避けようとして電柱に衝突。「要介護5」になった。
子どもって薄情かもしれない。最初、ICU室に入った父親を真剣に「助かってほしい」そう思った。
でも、「要介護5」と分かって、3カ月を過ぎたころから、「どうしょう」に変わった。
その時、わたしは、仕事も家庭もあった。とてもじゃないけれど、父親の介護なんてできない。
弟たちもそれぞれ仕事があった。嫁や彼女に「父親の介護を手伝ってくれ」なんて言える状況じゃなかった。
けれども、母は一言。
「わたしが介護するから心配しなくていい」
「でも、要介護5やで」
「元々要介護3みたいな人やったし……」
と、笑って明るく介護してくれた。
そして、私たちがお見舞いに行っても、いつも笑わせてくれた。
「先日、耳が遠いお父さんのために補聴器を買ったんよ。今の補聴器、すごくいいんだよね。なんか、盗聴器みたい。お父さんの悪口言えなくなったわ」
母が笑って迎えてくれるから、私たちは、とってもお見舞いに行きやすかった。
でも、介護なんてそんなに甘いものじゃない。3時間ごとの吸引、おむつの取り替え、私は、横で見ているだけで何もできない。
「どうして、こんなことができるのだろう」
「なぜ、こんなに笑ってやっていられるのだろう」
思わず、わたしは、母に尋ねた。
「どうして、こんなにみんなの介護をできるの?」
返ってきた答えは、一言だった。
「後から、後悔したくないやん」
そんなな父も事故から5年後亡くなった。
母は、明るく言った。
「思い残すことないわ」
そんな母は、今、自分の人生を楽しんでいる。