たまたま、日本記者クラブに用事があって、そこにあった新聞協会発行の月刊誌『新聞研究』の3月号を手にとった。「新人記者に向けて」という大特集があり、読売の専務や、共同通信の社会部長など、現役の記者、管理職がおのおの4ページほどの原稿を書いていた。その中で唯一フリーランスのジャーナリストとして、元アエラ編集長の浜田敬子さんが、一文をよせていたのに気がついた。
この「新人記者に向けて」という各社の幹部の文章は、そのまま、今新聞が抱えている問題を映し出しているような気がしたのだけれど、解決策のヒントは浜田さんの文章に書かれてある。
浜田さんは、新聞記者にむいていなかった。朝日新聞に入社し、地方支局に配属され、夜討ち朝駆けの生活を続けているうちに、<数カ月でポケベルの音が常に耳に残っている感覚になりました>。
で、秋には、体調を崩し戦線を離脱するという経験をしている。
行き止まりになったように見えたキャリアの愁眉を開くことになったのは、<自ら希望して週刊誌に移ったことだった>と書いている。
<週刊誌で身についた“能力”が、その後のキャリアを支えてくれました。それは「企画を立てる」という力です>
地方支局時代の仕事のしかたは、自分で考える必要はなく、ただサツカンや県庁の役人がもっている情報やペーパーをとってきて書くこと。が、週刊誌の場合は、自分の興味で題材をひろい、仮説をくみたてて、それを自分で確かめ記事にしていくという過程をたどる。
『新聞研究』3月号の「新人記者に向けて」といういくつものメッセージの中ですっと頭に入ってきて、わがことのようにとれる文章は浜田さんのものだったような気がする。
そんなことがあって浜田さんが新著『男性中心企業の終焉』を半年も前に送ってきたことを思い出し、ようやく読み終えた。
この本でも面白いのは、やっぱり自分のことを書いたところですね。一世代前の他社の女性役員が浜田さんに「政治力を身につけなさい」とアドバイスするところ。その女性役員は、ゴールがその企画やプロジェクトを実行することなら、「そのためにどうすべきか考えるのは戦略」と浜田さんに説いたのだ。