<ライブレポート>ロバート・グラスパー、未だ見ぬブラック・ミュージックの新境地を提示した伝説の一夜
<ライブレポート>ロバート・グラスパー、未だ見ぬブラック・ミュージックの新境地を提示した伝説の一夜
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 2023年5月末日、テキサス・ヒューストンが生んだ稀代のジャズ・ピアニスト、ロバート・グラスパーがビルボードライブ横浜に舞い降りた。

 ゴスペル歌手の母に刺激され、地元の教会からピアニストを志したグラスパー。2012年に発表した『Black Radio』は、第55回グラミー賞で<ベストR&Bアルバム>部門に選出され、“21世紀が誇るジャズの名盤”として揺るぎない評価を獲得している。また、ジャズ、R&B、ゴスペルに限らず、ヒップホップにオルタナティブ、さらにはコンテンポラリーまで、ジャンルを跨いでの深い造詣は、トップ・アーティストさえも一目置くほど。ケンドリック・ラマーの『To Pimp a Butterfly』、マック・ミラーの『The Divine Feminine』、さらには伝説のジャズ・オルガン奏者ドクター・ロニー・スミスの『Evolution』への参加など、キャリアを通して築き上げたクレジットの数々が、その確固たる証といえる。

 開演前、会場は現代ジャズの最重要人物を目撃しようと、時間の経過とともに期待が膨らんでいく。定刻から10分ほど過ぎた頃だっただろうか、遂にバンドメンバーがステージへ。R+R=NOWにも名を連ねるファスト・ドラマーのジャスティン・タイソン、ヒューストンの魂を宿すベーシストのバーニス・トラヴィス?、独創的なサウンドスケープを有するDJジャヒ・サンダンス。絶大な信頼を置く馴染みの俊英たちが、本ステージでも脇を固めた。

 サンダンスの挨拶代わりのヒップホップ・セット、そして「調子はどうだい? それでは盛大に迎えてくれ。ミスター・ロバート・グラスパーだ!」の号令とともに主役が登場した。グラスパーは「こんにちは」と日本語で観客にフレンドシップを示し、カジュアルにメンバー紹介を済ませると、会場となった「ヨコハマ」の発音を覚えようと何度も復唱。出鼻からひと笑いを誘い、客席との距離を縮めるやいなや「じゃあ、数曲演奏しようか」と切り出して、鍵盤にそっと手を添えた。

 オープニング・ソングは、2022年のブラック・ミュージックの傑作と称される『Black Radio III』より「Black Superhero」。社会派ラッパー兼活動家のキラー・マイクに加え、BJ・ザ・シカゴ・キッド、ビッグ・クリットという豪華客演を迎えたアルバムの代表曲である。観衆のリクエストを叶えるような正統派ジャズからのエントリー。しかし、まもなくレデシーが歌い上げる「Gonna Be Alright」のフックを差し込むと、そのまま「Find You」へと展開されていった。

 早めに断りを入れておくと、この夜、彼らに明確なセットリストは用意されていなかっただろう。ジャズの真髄である即興が高次元で遂行され、リアルタイムで音楽を作り上げていく様に、すぐさまフロアは飲み込まれていった。時に荒々しく、時に寂しく、時に幻想的に。グラスパーとタイソンの繊細なラリーが生む立体的な転調は、ジャズ本来の野生みを現代の感性をもって表現しているかのようだった。ファースト・セッションの締めくくりは、サンダー・キャットの「Them Changes」。静かに音が止まると、観客は身震いとともに喝采を送り、この頃にはすでにグラスパー・ワールドが完成していた。

 続いては、しっとりとしたピアノの独奏から。だが、優しいタッチが紡ぐ詩吟的な旋律に酔いしれていたのも束の間、一転して力強い鍵盤でドラムを呼び込み、デ・ラ・ソウルの「Stakes Is High」が披露される。ネイティブ・タンズの一角を成した彼らは言わずもがな、その独自性とユーモアでヒップホップの多様性を拡張した、紛れもないゲーム・チェンジャーである。ジャズとヒップホップが交錯し、寂しさと感謝が入り混じるようなパフォーマンスは、亡きトゥルーゴイに捧げるものだったのかもしれない。

 ベースを主軸に、軽やかでスキルフルなドラムと、技術の引き出しを解放したグラスパーのプレイは一見、皆が異なる方向性を向いているようで、互いが互いを求め合い、そして高め合い、ギリギリのラインで橋を渡っていく。

 そして、その針の穴を通すような演奏を引き継いだのは、タイソンだった。粒立ちの良いスネア、ハイハット、バスドラムに音の隙間はない。嵐のように押し寄せる超絶ドラムワークを正確に形容できるフレーズは見当たらず、ソロを叩き終えた瞬間には、拍手と歓声、指笛が惜しみなく飛び交った。

 しかし、トラヴィスのベースもまた、五感を疑うような驚きの連続だった。フルートのような木管楽器音にはじまり、グレッチ・ギターかと錯覚する上品なエアー感、さらには機械音を彷彿とさせる実験的な響きまで、エフェクターを巧みに踏み替えて作りあげる神秘的なサウンドもまた、従来のベースの表現領域を超越していた。

「I want you」で再び4人が合流し、ライブの折り返し地点を過ぎた頃、『Black Radio III』から「Over」が選択される。ソロで帯びた熱量を冷ますようなメローなテンポ。しかし、次第に音は厚みを増していき、弾むようなグラスパーのピアノに観衆は身を預けていく。筆者の隣に座っていたマダムの口から思わずこぼれた「絶品だね」という囁きは、会場全体の感想を代弁していた。

 拍手が鳴り止むと、グラスパーは思わぬ行動に出る。様々なピアノラインを並べる様子は、まるでバンドメンバーにいたずらを仕掛けているかのようだった。「Silly Rabbit」やジェームズ・ボンドの逃走劇を想起させる疾走感、パリの街並みでも歩きたくなる軽快なサウンド。時折、タイソンがバスドラムで「正気か?」と牽制するも、グラスパーは意に介さず、空間を独占したままユーモラスな旋律を築き上げた。

 セリフも映像もない物語にバンドメンバーがようやく隙間を見つけると、ライブの終演を惜しむかのように、しっとりとしたサウンドが奏でられた。続くベースソロも、ふくよかで贅沢、そして艶っぽくセクシーな時間が流れ、バンドメンバーも一同持ち場を離れて、ただトラヴィスのクリエイティビティに酔いしれる姿が印象的だった。

 フィナーレは、ケンドリック・ラマーの「Saivor」より「Are you happy for me?」の問いかけで火蓋を切った。ジャジーでソウルフルな即興は、紛れもなくこの日最大のグルーブを生み出し、客席を心地よく揺らす。そして、エンディングでグラスパーがメンバーをシャウトし、最後に自身にスポットライトが当たると、フロアからは万来の拍手が贈られた。

 ブラック・ミュージックの歴史に敬意を表すと同時に、新たなフォーマットを提示したライブセットに、アンコールは必要なかった。ビルボードライブ横浜は感動的な余韻に包まれたまま、伝説の一夜を終えた。

Text by Meiji
Photo by Masanori Naruse

◎公演情報
【Robert Glasper】
2023年5月29日(月) - 30日(火)東京・ビルボードライブ東京
2023年5月31日(水) 神奈川・ビルボードライブ横浜
2023年6月1日(木)大阪・ビルボードライブ大阪

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