正直に言うと、私は子どもの頃、上岡さんの良さがわからなかった。あの当時の彼は、子どもにはひたすら怖い理不尽な大人に見えた。
テレビに出るタレントというのは、多かれ少なかれ、いつも明るく愛想良くしていた。しかし、上岡さんはいつも無愛想で怖かった。実際には笑っているときもあったのかもしれないが、常に「いつ怒り出してもおかしくない」という不穏な雰囲気を漂わせていた。ほかのタレントに見られる最低限の「媚び」のようなものが一切ないのが恐ろしかった。
しかし、自分が成長して、テレビやエンターテインメントを見る目が肥えてくると、だんだん上岡さんの面白さがわかるようになってきた。子どもの頃に放送されていた彼の番組の映像をいま改めて見返してみると、そこまで怖いという印象もなく、普通に楽しめた。
いま思えば、上岡さんが屁理屈をこねて人を振り回すのも、放送禁止用語を使ったり急に怒り出したりするのも、タレントとしての一種のパフォーマンスだった。悪役レスラーが凶器を振り回すようなものだったのだ。
しかし、今のテレビ界には、彼のようなわかりやすいヒール役は存在しない。なぜなら、視聴者を不快にさせる可能性のあるものは最初から排除されるようになっているからだ。リスク要因となるものを初めから持ち込まないのが普通になっている。
その考え方はテレビに限らず、社会のあらゆるところに及んでいると言っていいだろう。たとえば、学校やスポーツ指導の現場での体罰が問題視されたり、パワハラやセクハラに対して厳しい目が向けられるようになった。それは、ほとんどの状況において、この社会を良いものにしているに違いない。
その「浄化」の副作用として、テレビバラエティのような純粋なエンタメの世界でも、リスクを排除する方向に強い力が働くようになっている。
いまや芸人が笑いのために言う場合であっても、他人を傷つける可能性があるような物言いはなかなかできなくなっている。