池川玲子の『ヌードと愛国』は、1900年代から70年代までに登場した7点のヌード作品を取りあげ、それらが裸体の上にまとっている意味を分析していく。
 巻頭では、高村光太郎の『智恵子抄』で有名な長沼(後の高村)智恵子がデッサンした男のヌードが紹介され、彼女にまつわる「おかしいほどリアル」に股間を描写するという伝説の謎を解く。智恵子が実際に描いたデッサンはそれほどではなかったのに、なぜそんな噂が語られたのか……。
 その後も、大正期に絶大な人気を博した竹久夢二の「夢二式美人」がヌードになった理由や、旧満州で撮られた映画『開拓の花嫁』に出てくる乳房にこめられたイメージや、銀座の街並みを背景にした婦人警官のヌード写真の謎や、石岡瑛子がパルコの「手ブラ」ポスターによって発信したメッセージの背景などが解かれていく。
 絵画、映画、写真、ポスターと表現の分野に違いはあっても、七点のヌード作品は「日本」をまとっていると池川はとらえる。明治以降の近代化、現代化の中でこの社会が抱えてきた西洋と日本、男と女をめぐる攻防や変容。七点それぞれを読解してこうして時系列に並べれば、日本の新たな近現代史が浮上してくる。ヌードがまとった真の「はだか」は折々の日本なのだ。
 池川はそこに迫っていく過程をミステリー仕立てで書いた。このアプローチは謎解きの醍醐味を読者に与えるだけでなく、日本の社会史や表現史に関する知見を写真とともに提供してくれる。だから、この本を読んで手もとにある各分野のヌードを見直すと、それらが発するイメージの背後にこれまでは気づかなかった何物かが垣間見えてくる。
 必然と思われるヌードにすら何らかの意図が隠れている……企んだのは誰か? ミステリーよろしく点をつないで線にしてみれば、日本という国家が、そして私たち日本人が、うっすらと姿を現す。

週刊朝日 2015年1月30日号