■『季節の記憶』(保坂和志 中公文庫)
選者:作家・古川日出男
私たちは生きていると、人生の段階ごとに「誰か」と交わり「どこか」に拠点を定める。が、歳月の経過はいずれ「誰か」を欠けさせて「どこか」の景色を変える。にもかかわらず、不変の土地があって年をとらない人々がいつづける、に近いのがこの『季節の記憶』という本で、繙けば読者はいつでも「そこ」の「彼ら」に出会い直せる。三十代の父親と未就学の息子、四十代の兄と二十代の妹。沁みる名篇。小説とはこんなふうに<世界>を永続させる装置なのだ。
■『魔界転生』(山田風太郎 角川文庫ほか)
選者:文芸評論家・細谷正充
古今東西を通じて、私が最も好きな作家は山田風太郎である。だから風太郎作品から、次世代に遺したい一冊を選ぶことにした。しかし、傑作名作が多すぎる。どれを選ぶか数日悩んで、『魔界転生』に決めた。一連の“風太郎忍法帖”の最高峰であり、本来ならあり得ない剣豪の対決を実現した、驚天動地の剣豪小説でもある。初めて読んだとき、世の中にこんなに面白い小説があるのかと、ぶっ飛んだ。これぞ、究極のエンターテインメントである。
■『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(伊藤比呂美 講談社文芸文庫)
選者:ドイツ文学者・松永美穂
最近、この本が海外でも続々翻訳出版されている。一昨年はドイツ、昨年はアメリカ。昨年来日したドイツの作家は、この本を読んで「ぜひ」と、巣鴨の地蔵参りをした。
語り手は熊本に住む両親の介護のため、ときには子ども同伴で、日米を往還する。自分の生、母の生、父の生、そしてそれぞれの性。そこに自分の記憶とさまざまな歴史上の「声」が重なり合い、またとない言葉の織物を紡ぐ。心に温かく沁みる、切々たる長編詩。日本文学史にも残るに違いない一冊。
■『裸者と裸者』上・下(打海文三 角川文庫)
選者:書評家・吉田伸子
2007年、作者の急逝により未完に終わった「応化クロニクル」シリーズの第一部だ。
世界恐慌後の近未来の日本、が物語の舞台。そこでは、政府軍と反乱軍との間で内戦中であり、佐々木海人は少年兵として生きることを余儀なくされ、海人が偶然出会った孤児の双子・月田姉妹もまた、彼女たちのやり方で地獄のような世界を生き抜いていく……。
貧困やジェンダー問題等々、時代も世代も超えて、読み継がれて欲しい物語である。
※週刊朝日 2023年6月9日号より抜粋