話が盛り上がって、2日間にわたって登場してもらったゲストも少なくない。作家の宇野千代さんが出演したのは、宇野さんが84歳のとき。徹子さんが若さの秘訣を尋ねると、「あのね、クヨクヨしないの! 陰気は悪徳、陽気は美徳!」と軽快に語ったという。

「あんなにあっけらかんとした方は、後にも先にもいらっしゃいませんでした(笑)。作家の尾崎士郎さんや北原武夫さん、画家の東郷青児さんとのお付き合いすることになったきっかけなんかも話してくださって。宇野さんは、よく失恋するけれど、『失恋してちょっと泣いても、いい着物着て表へ出ちゃうと、男は女の数とおんなじほどいるから、すぐいい人がめっかっちゃうの』なんておっしゃって(笑)」

 徹子さんがとくに驚いたのは、宇野さんが、男女の秘め事をサラリと明るく話すこと。

「東郷青児さんと出会ったときのことも、『僕の家に来ませんか、と言われたのでついていったの。そいで、寝ちゃったの』なんて(笑)。宇野さんは、『恋愛はスピードが命』だったそうですが、おしゃべりしていても、『こんなこと言って大丈夫かしら?』みたいな迷いがないんです。宇野さんの文章が素晴らしいのはもちろんですが、その天真爛漫な人間性は、テレビだからこそ伝わる部分もあるのかもしれないとも思いました。『不思議なことに、男とはケンカしない。別れた後もみんな仲良し』ともおっしゃっていました(笑)」

 ある時期から、徹子さんは、戦争に行った俳優たちに、戦争の話を聞くようになった。きっかけは池部良さん。76年12月に、池部良さんがゲストに決まったとき、マネジャーからは「面白い話ができるかどうか。30年前にパリで買ったセーターをいまだに着ていて、そのぐらいしか話すことがない」と言われた。

■誰もが「話」を持っている

「でも、なんとかなるかな?と思っていて、そのセーターの話を伺った後、何げなく『そういえば、終戦のときはどこにいらっしゃったんですか?』と聞いてみたんです。そうしたら、『太平洋の海の中にいました』とお答えになって。なんでも、映画スターになる前の池部さんは、陸軍少尉として上海に赴任していたんだそうです」

 戦況が悪化し、南方に移動している途中で、乗っていた輸送船が潜水艦の攻撃を受けて沈没。池部さんは、海に飛び込んだときに体が沈むといけないからと、大事な軍刀を船に残していった。

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