■同情されることに嫌悪感

 ちょうどこの日、次女のクラスでは道徳の授業で耳が聴こえない父親と中学生の娘のことを描いた映画を見たようでした。

「女子はみんな号泣して、終わったあとに『ぴぴと重なった』と言ってさらに泣きだして。なんか必要以上に不幸を強調しているような映画だったのに、みんなかわいそうかわいそうって言って、ぴぴもかわいそうって。

 なんで?

 なんでいつもぴぴはみんなにかわいそうって言われるの? ぴぴには関係ないし、普通に放っておいてほしいのに、なんでみんなそんなに障害が気になるの? なんにも知らないだけじゃん。コウが走ってるのを見たら、また勝手な感想を言われる。最悪!」

 親としては、嫌がらせを受けているわけではないとわかり少し安心しつつも、同情されることへの次女の嫌悪感と、たまたま映画を見た日に体育祭のチームが発表になったため、複雑な心境を私にぶつけたくなった気持ちは理解できました。

■今では体育祭の委員に

 結局、その年の体育祭は新型コロナの感染拡大により中止となり、次女が懸念していたシチュエーションはなくなりましたが、次女はその翌年からずっと、体育祭の実行委員に立候補し、企画や運営に関わるようになりました。息子の学年競技について、私に詳しく説明してくれる姿がとても頼もしく、嬉しく思いました。

 それから3年。いよいよ最終学年になりました。

 数年の間にすっかり成長し、今では家族のこともそれなりに友人たちに話しているようです。

「コウのお姉ちゃん」ではなく「ぴぴちゃん」として、最後の体育祭を楽しんでほしいと思っています。

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