細川ガラシャ。明智光秀の娘、細川忠興の妻、キリシタン。彼女は石田三成の人質になることを拒み、屋敷とともに死ぬ。戦国モノの時代劇によく出てくる有名な女性であろう。この本は、当時日本にいたキリシタン宣教師が彼女をどう見ていたか、を歴史家が史料から説き起こしている。宣教師から見た細川ガラシャの何が面白かったかというと、その「わけのわからなさ」だ。
 今まで、ドラマや小説で出来上がっていた“細川ガラシャ”は「美しく信心深い貞女」みたいなものではなかったか。わかりやすい貞女像だが、封建時代で女の人権など無いに等しかった、ことに当時はキリスト教が禁教になろうかという時代だ。そういうなかで「神様への愛」と「夫への愛」の両立って、けっこう困難を伴うんじゃないのか。夫に「どっちを取るか」と刀を突きつけられてもいい局面だ。
 宣教師側の記録によると、ガラシャは離婚しようとしていた。信仰の道を行くために理解のない夫と別れたかった。でもカトリックでは離婚が認められていないし、そんなことになったら大騒ぎになるから、宣教師はそれを止める。忠興とガラシャの関係がすごいのだ。忠興はガラシャに会おうとした下僕を手打ちにして、その血をガラシャの着物で拭いたが、ガラシャは少しも騒がなかった。それどころか3日も4日もそれを着続けて、最後は忠興が謝って着替えてもらったとか。
 他にもヘマした家来や下僕の首を、忠興がすぐ刎ね→ガラシャに投げつける→ガラシャ平然→忠興反省、というようなことが『細川家記』に書いてあるからたまげる。どういう夫婦なんだ。夫もコワイが妻もコワイ。ワケのわからないものに突き動かされているとしか思えないガラシャの姿は、ただの「信仰深き貞女」なんかではない。
 500年近く前にローマから極東に渡り、「地方大名の奥さん」のことを書き残してローマに送り、それを今まで残しているキリスト教のすごさも、しみじみ感じるのだ。

週刊朝日 2014年7月25日号