自叙伝『クラプトン』ではなぜか触れられていないのだが、1966年春、ブルースブレイカーズのアルバム制作と前後してエリック・クラプトンは、パワーハウスというプロジェクト名義のレコーディングを行なっている。メンバーはクラプトン=ギター、スティーヴ・ウィンウッド=ヴォーカル、ジャック・ブルース=ベース、ポール・ジョーンズ=ブルースハープなど6人。ただし、正式なバンドではなく、アメリカのレコード会社エレクトラがイギリスでの本格的業務開始にあたって企画した、いわゆるサンプラー・アルバムのために組織されたスペシャル・ユニットだった。メンバーの推薦など、中心になって動いたのはマンフレッド・マンのメンバーとして活躍していたポール・ジョーンズだったといわれているが、アルバム・ジャケットでのクレジットはエリック・クラプトン&ザ・パワーハウス。『ウィズ・エリック・クラプトン』の発表を前にして、すでに彼は、ロンドンの音楽界でそれだけの評価を獲得していたわけである。
彼らがこのアルバムに提供したのは、のちにクリームのヴァージョンで広く知られることとなる《クロスローズ》、ポールのオリジナル《アイ・ウォント・トゥ・ノウ》、メンフィス・スリムの《ステッピン・アウト》の3曲。いうまでもなく《クロスローズ》は、クラプトンが深く傾倒していたロバート・ジョンソンの《クロス・ロード・ブルース》をもとにしたもの。このとき彼は《トラヴェリング・リヴァーサイド・ブルース》も候補にあげていて、二つの曲の歌詞をミックスさせるスタイルは、リフを強調するアレンジとあわせて、この時点で固まったようだ。ただし、パワーハウス版《クロスローズ》は2分強と呆気ないほど短く、ソロもないのだが、インストゥルメタンル《ステッピン・アウト》ではスピード感のあるソロをたっぷりと聞かせている。
アルバムにはほかに、ラヴィン・スプーンフル、ザ・ポール・バターフィールド・ブルース・バンド、アル・クーパー、トム・ラッシュの曲が収められていた。クラプトンは、クリームの《テイルズ・オブ・ブレイヴ・ユリシーズ》を書いたときラヴィン・スプーンフルの《サマー・シン・ザ・シティ》から刺激を受けたと語っているし、バターフィールド・ブルース・バンドとアル・クーパーはボブ・ディランとも深く関わった男たちでもあった。また、パワーハウスにはジンジャー・ベイカー(ドラムス)の参加も検討されたらしく、いろいろな意味で、クリーム結成直前のクラプトンを記録した、貴重な音源といえるだろう。[次回7/16(水)更新予定]