



ジュリエット・グレコは、1927年2月生まれというから、2014年の今年は87才になる。
わたしがシャンソンについてまとまった本を読んだのは、1975年に白水社から出版された、歌人・塚本邦雄の著書『薔薇色のゴリラ』だった。
このとき手にした本は実家の本箱の中にあり、今、わたしの手元にあるのは、95年版の北沢図書出版『薔薇色のゴリラ(増補改訂版)』だ。そのなかの「馨る水銀―ジュリエット・グレコ論」に、こう書いてある。
「ひょっとするとデビューして三年、十曲くらいの傑作を残して二十三、四で死ぬだろうとひそかに期待したものだ。」。ところが、「グレコは死ぬどころかやや肥って次々と映画出演」「二枚目半役者と道行きして子持ちになった女神など見たくもない」と続けている。
塚本邦雄は、グレコの1961年の日本でのリサイタルを聴いた後、「もはや円熟の境といってもよいうまさである」と認めた上で、「リサイタルは念押し以上のものではない」「最高のコンディションで録音されたレコードを一人聴く楽しみには遠く及ばぬ。」と告白する。そして、「私にとってグレコとは、ぎりぎりのところ《恋多き女》で《ミアルカ》を歌う二十代いっぱいまでの、その名にふさわしい神秘のヴェールをかむった巫女であった。」と表現した。
わたしは、塚本邦雄のこの書を頼りにシャンソンを聴いたけれど、グレコを描いた言葉としては、若き日にグレコと恋に落ちたマイルス・デイヴィスの言葉のほうに、より深い好感を覚える。すこし長いが、『完本マイルス・デイビス自叙伝』(中山康樹訳)より引用したい。
「ジュリエットには、リハーサルの時に初めて会った。彼女は、じっと座って音楽を聴いていた。俺は、彼女が有名な歌手だなんて、ぜんぜん知らなかった。長く黒い髪、美しい顔立ち、小さくて粋で、今まで会った女性とはあまりにも違っていた。そこにただ座っているだけで、もうすばらしかった。」
「彼女は誰なのかと、そこにいた男に聞いたんだ。『彼女とどうしたいんだい?』『どうしたいかだって?会いたいだけだよ』とオレは答えた。」
誰も紹介してくれないので、マイルスは「ある日彼女がリハーサルに来たとき、人差し指を出して、こっちに来いと手招きした。とうとう彼女と話したとき、彼女は男は嫌いだけど、オレは別だと言った。この時から、オレ達はいつもいっしょだった。あんな気持ちになったことは、それまで、一回もなかった。」
「オレとジュリエットは、よくセーヌ川のほとりを歩いた。魔法か催眠術にかけられて、恍惚状態にいるみたいだった。こんな経験は、まったく初めてだった。ずっと音楽ばかりで、ロマンスの時間なんてなかったんだ。ジュリエットに会うまでは、音楽だけが生活のすべてで、音楽以上に人を愛すると言うことがどういうことなのか、それをジュリエットが教えてくれた。」
英語を話せない女とフランス語のできない男が、表情や仕草だけで理解しあった。
「だから、騙すなんてことはできないし、感情のままに正直にいなくちゃならなかった。そう、まさに《パリの四月》で、オレは恋をしていた。」
1949年、マイルス23才、グレコ22才の春のことだ。
恋する若者の初恋の思い出を紹介しただけでは、片手落ちと言われそうなので、当時、いっしょに行動をしていたであろうボリス・ヴィアンの文章も紹介しておこう。
ボリス・ヴィアンも、すこし紹介がいるだろうか。
ヴィアンは、1920年パリ生まれの小説家にして、トランペッター、作詞作曲もし、歌も歌う。今で言うマルチ人間ということになろうか。彼の書いた『サン=ジェルマン=デ=プレ入門』(浜本正文訳)の中のグレコの紹介文にこうある。
「ジュリエット・グレコ、別名トゥトゥーヌ(子猫ちゃん?)は、1928年、モンペリエ生まれ(正しくは、1927年生まれ)。色白の顔、褐色の瞳(なんと大きな瞳!)、褐色の髪(なんと豊かな髪)、バスト90センチ(何と!)、ヒップも同じ、体重58キロ、身長1メートル65。他の特記事項なし?いや、いつも黒い服装をしている。」
「医者になりたかったというが、動機不明。彼女を最も魅力的に見せるポーズ、それは両手を腰にやり、頭をこちら向けた立ち姿だ。」
そして、この紹介の隣のページには、女友達といっしょにホテルのベッドにもぐりこんで煙草を吸っている写真。そのベッドの横の壁には、トランペットを持った若きマイルスの写真が画鋲で留めてある。
バストとヒップのサイズまで教えていただき、ヴィアンさん、ありがとうございます。わたしは、あなたのような方が大好きです。
さて、ここで、わたしの個人的なシャンソンとの出会いについても書いておきたい。
それは、わたしが中学生の時。NHK―FMのシャンソン特集だった。
当時、持っていた東芝のモノラル・オープン・テープ・レコーダーで録音し、何度も繰り返し聴いたものだ。
記憶のひだに様々なものが入り込んで正確な確証はないのだが、私の記憶では、イヴ・モンタンの《枯葉》、シャルル・アズナブールの《イザベル》、アダモの《雪が降る》、バルバラの《黒いワシ》……などだ。
《枯葉》という曲は、はじめイヴ・モンタンによって歌われたがヒットせず、ジュリエット・グレコの歌で大ヒットし、シャンソンのスタンダードとなった。しかしこの時、イヴ・モンタンで聴いたしまったわたしにとって、《枯葉》といえばイヴ・モンタンなのだ。もっともこの曲は、シャンソンやポピュラーの世界だけでなく、マイルスをはじめとしたジャズの演奏にも名演が多い。やはり、名曲の一つであろう。
それから、シャルル・アズナブールの《イザベル》だが、これは日本語で歌われていた。当時はアダモの《雪が降る》も、フランス・ギャルの《夢見るシャンソン人形》など、日本語で歌われていたものがたくさんあった。ジャンルは違うが、シカゴもクイーンも日本語で歌っている曲がある。
ただ、アズナブールの日本語の《イザベル》は、ライヴだったと記憶する。日本でのライヴ録音があるのではないだろうか。それともラジオでだけオン・エアーしたものか、レコードが発売されていたかどうかは不明である。
そういえば最近、ピンク・マルティーニとのコラボレーション『1969』でジャズ歌手としても世界的に話題をよんだ由紀さおりの《恋文》という曲に、「アズナブール聞きながら……」という歌詞があって、そんなに、みんな知っている歌手なのだろうか? と思ったことがある。「イザベル、イザベル……」と30回くらい名前を呼び続ける歌で、少年時代のわたしは、よくまねして歌ったのだが、この曲を知っている友達は一人もいなかった。
アダモの《雪が降る》は、日本でも大ヒットした。フランス語で歌ったものと日本語で歌ったものの2種類が、販売されていた。わたしは2枚組のベスト盤のレコードを買った。来日記念盤だった。越路吹雪の歌唱でも知られている。
そして、バルバラである。この歌声にわたしは夢中になった。まずは、シングル盤の《黒いワシ》を買った。バルバラは、どちらかといえばささやくように歌う歌手だと思うが、この曲は壮大な演奏のもりあがりがある曲だ。しかし、B面の《ナントに雨が降る》は、哀しみに満ちた静かな曲だった。それは、亡くなった父を思ってつくった曲であった。
バルバラは、わたしの心をとらえ続けたが、バルバラを好きだという友人とはなかなか巡り会えなかった。
これまでの人生で、一人だけいた。彼の名は、郷司基晴、写真家だ。共通の友人の写真スタジオで紹介された。彼とわたしは、お互いの写真を見せ合った。わたしは、彼のモノクロの作品に感動した。
蟹の甲羅に、ネオゴシック風のアクセサリーをつけた静物の写真と歌手の戸川純の写真だった。静物の写真は、後に『Calcite 方解石―郷司基晴写真集』の表紙になった。また、戸川純の写真は、戸川純の9枚組BOX『TEICHIKU WORKS JUN TOGAWA~30TH ANNIVERSARY~』のジャケットになった。
わたしは、彼の風貌にも惹かれた。ちょっとむちっとしたからだに、全身ぴっちりとした黒の革の服を着ていた。剛胆だけど繊細で壊れそうな魂が見えるような気がして、「今度、写真撮らせてよ」と言った。わたしは女の子の写真を撮るのは好きだが、男の写真はアーティストにしか興味がなかった。彼は、わたしが求めるアーティスト像だったのだと思う。彼は、「いいよ。でも、君も撮らせてくれる?」と言った。「ぼくで、いいの?」とたずねると「ヌードだよ」といった。「ヌードか、自信ないなぁ」といった会話があった。その後、彼が男性ヌードの作品も作成しているのを知った。
それからしばらくして、個展の案内が来た。出かけていくと、ファンや仲間に囲まれた彼がいた。ギャラリーには、バルバラの歌声が流れていた。
「バルバラだね」というと、「バルバラ、好きなんだ」と彼が言った。「好みが似てるね」
彼は、わたしの一つ年下だった。このとき以降、彼とは会っていないのだが、元気にやっているのだろうか。
わたしは、1990年の人見記念講堂で開催されたバルバラのコンサートに、一人で出かけた。最後の来日だった。
バルバラは、一人で聴くに限る。
さて、つい最近、ジュリエット・グレコの新譜を買った。
2013年に録音された全曲ジャック・ブレルの曲を歌ったアルバムだ。
さすがに、わいせつな歌詞が魅力の《ゴリラ》は歌っていないが、聴こえてくるその歌声は、わたしにはとても魅力的に響いた。
また、そのジャケットは、現在のグレコの額と閉じたまぶたのモノクロ写真だ。パリのミューズは、今を生きている。
塚本邦雄は想像していただろうか、ジュリエット・グレコが、今も素晴らしい歌声を聞かせることを。
ジュリエット・グレコが、来日する。[次回6/18(水)更新予定]
■公演情報は、こちら
http://www.tbs.co.jp/event/juliette-greco2014/#info1