のっけから喧嘩を売るようで申しわけないが、エリック・クラプトンを紹介するときによく使われる「ギターの神様」というフレーズが大嫌いだ。たしかに彼は、なにかに導かれるようにして出会ったギターをほぼ独学で究め、卓越した演奏を核に多くの名曲、名演を残してきた。いわゆるロック・ギターのもっとも重要なパイオニアであることは、多くのミュージシャンやメディアのほぼ一致した見解だ。だが「ギターの神様」は、なんだか、そのすべてをいかにも軽いものにしてしまうような気がしてならない。
1990年代半ば以降、幸運なことに何度かクラプトンから話を聞く機会を得ているのだが、その度に感じてきたのは、「ギターの神様」という陳腐なフレーズとは別次元の深さだった。レコーディングでは、自作他作を問わず、歌そのものを大切にする姿勢を貫き、先輩たちに最大限の敬意を払いつつ、近い方向性を持つ同世代アーティストへのシンパシーもきっちりと示す。ライヴでは、可能なかぎり理想的なラインナップのミュージシャンたちと組んで、最高のパフォーマンスを追求し、そこから得たインスピレーションをその後の創作活動に生かす。
そのようなスタンスで音楽に取り組みながら、起伏に富んだ人生を生き抜いてきたクラプトンがこれまでに公式な形で残してきたアルバムのほぼすべてを、これから約1年半にわたり紹介していこうと思う。またこの間、クラプトンに刺激を与えた作品も、彼の音楽的歩みを補完する形で挿入していきたい。
基本は、ニール・ヤング編同様、制作開始時期の順だが、最初に取り上げるのは、2001年発表の『レプタイル』。9歳のころに撮影された写真を使ったジャケットも印象的なアルバムだ。
エリック・クラプトンは、第二次世界大戦終結の年、ロンドンの南方に位置する静かな田園地帯に生まれている。母親は十代半ばの少女。父親は英国駐留中のカナダ人兵士で、既婚者だった。そういった事情もあり、エリックは、母の両親、つまり祖父母(正確には祖母と彼女の再婚相手)の子供として育てられこととなった。その複雑な事情を知り、深く傷ついたのが、9歳のころだったという。
『レプタイル』は、少年時代のエリックに兄として接し、音楽やファッションなどさまざまな面で彼に影響を与えた叔父に捧げられたもの。生まれ故郷で過ごした時期へのオマージュといってもいいだろう。その音楽的意味については連載中にあらためて触れるが、ここで彼ははじめて、ブルースを知る以前の音楽体験に具体的な形で触れていた。ほんとうの原点ということである。
連載開始にあたって、最後に一つ。今年2014年2月に行なわれた通算20回目の来日公演に際し、クラプトンは「最後のツアーになるだろう」というメッセージを寄せていた。だが、そのステージの充実ぶりはとても「最後」とは思えないものであり、ツアー終盤の大阪で確認すると、「あくまでもプラバブリィ」と笑っていた。長期のツアーは年齢的には難しいが、ライヴをやめるという意味ではない。レコーディングもつづけていく。そういうことだった。[次回5/28(水)更新予定]