<“ひとりでいる”そのことを邪魔してはいけません。自分をも、他人をも。人はけっきょくは、ひとりなのです>
<譲歩をしながら、だれかと生きることの方を好む女性もいるでしょう。あるいは、ふたりで生きることは退くつだと考え、自分ひとりで喜びをみつけていく女性も>
<自分自身が納得し、望むように生きなければ生きる甲斐がない>
それまでのもやもやがぱーっと霧が晴れたようになくなり、自分の将来の目標がはっきり見えたような気がした。
その6~7年前に創刊されたan・anやnon・noは、よく女性誌の草分けとしてとりあげられるが、実は1977年の『MORE』創刊こそが麻子のように自分自身の人生を生きたいと思う若い女性にとって事件だった。創刊号は、55万8000部を刷り、実売率は92.7パーセントとほぼ完売。
女性は大学にいって就職しても、数年つとめて結婚するのが、あたり前だった時代に、「女性は自立しなければならない」という旗をかかげて、生き方のロールモデルを提示したのだった。
創刊2号では、当時『飛ぶのが怖い』が世界的なベストセラーになっていた米国の作家エリカ・ジョングが登場しこうハッパをかけていた。
<忘れてはいけないことは、食べるために、また子供を学校にやるために、もし誰か特定の人を喜ばせなければならないとしたら、あなたは絶対に自由な女になりえない>
麻子は、『MORE』を読むようになってから、この職場で働きたいと強く願うようになった。就職を出版社にしぼり、会社訪問をする。当時は、男女の給与体系は別があたりまえだったなかで、『MORE』を出していた集英社は、男女同一賃金だった。
『JJ』を出していた光文社の親会社にあたる講談社の幹部にも麻子は縁故をたよって会っている。そこで、麻子はつい、こんなことを言ってしまう。
「『JJ』は女の人をバカにしています」
その幹部はこう返した。
「『JJ』の編集部は全員男性なんですよ」