3月末日からはじまった新しいNHK連続テレビ小説「花子とアン」は、この『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』を原案としている。作者は村岡の孫娘、恵理である。
 明治26年に山梨県甲府市の貧しい葉茶屋に生まれた村岡がいかなる人生を歩んだか、恵理は祖母の足跡を丹念にたどり、客観性を見失わずに書いている。たとえば遺品を預かる立場を活かし、友人や夫らと交わした手紙も多用して村岡の人柄を紹介。そこには美点も欠点もあり、それ故に村岡の人物像が色濃く浮きあがってくる。
 村岡の人生に決定的な影響を与えたのは、10歳のときに編入学した、カナダ系メソジスト派の東洋英和女学校で過ごした日々だった。高等科を卒業するまでの10年間を同校の寄宿舎で暮らし、キリスト教はもとより、英語、文学、そして困窮者救済や女性差別撤廃への問題意識を身につけた。
 卒業後は教師、翻訳家、作家、編集者、社会運動家、ラジオの子ども向けニュース解説者といくつもの仕事をこなす一方で結婚して出産し、関東大震災によって倒産した夫の会社の負債を抱え、疫痢で長男を亡くしてしまう。それでも働きつづけ、市川房枝ら同時代を生きる女性たちとの関わりも深めつつ迎えた昭和14年、国際紛争による影響でカナダにもどる宣教師のミス・ショーから『アン・オブ・グリン・ゲイブルス』を贈られ、翻訳を開始。日本が太平洋戦争に突入すると人目を憚りながら訳し、空襲にあえば、原書と原稿を抱えて防空壕へ逃げこんだ。
『アン・オブ・グリン・ゲイブルス』が『赤毛のアン』として世に出たのは、昭和27年だった。同作にある「いま曲り角にきたのよ。曲り角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの」を実践するような村岡の生涯は、波乱の時代を生きた人々の痛みと逞しさを鮮やかに見せつけ、たしかに、ドラマ化したいと思わせる。

週刊朝日 2014年4月25日号

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