

わたしがモダン・ジャズに出会うのは、東京に出てきてからのことだ。1975年に上京し、一人暮らしをはじめ、ジャズ喫茶に通うようになってからだ。
わたしにジャズを教えてくれたのは、小林君だ。小林君は大学の同級生だが、二浪か三浪していたので、年上の同期だった。彼の部屋に行ったことはあると思うのだが、どんな部屋であったか、まったく思い出せない。しかし、彼のアパートから細い路地を曲がりくねって歩いて行った先にジャズ喫茶があったのは覚えている。
日暮里のジャズ喫茶「シャルマン」だ。太い真空管のアンプが目立っていた記憶がある。真空管はオレンジ色にほのかに輝いていた。大きな音が粒子のように降りかかってきた。今は2階だけになってしまったようだが、当時は1階と2階にお店があった。わたしたちは、いつも1階でコーヒーを飲んだ。
小林君は、マル・ウォルドロンの『レフト・アローン』をリクエストして、わたしにマルが晩年のビリー・ホリデイの伴奏ピアニストであったこと、そして『レフト・アローン』は、そのビリーを偲んで吹き込まれたのだと話してくれた。他にも、マイルス・デイヴィスとセロニアス・モンクのけんかセッションのことなどを『マイルス・デイヴィス・アンド・ザ・モダンジャズ・ジャイアンツ』を聴きながら話してくれた。
ジャズ喫茶での作法のようなものも教えてくれた。
話をしてよい店と、話をすると叱られる店があること。お店のスタッフに叱られる場合と、お客さんに注意される場合があること。お店によってかけるレコードの傾向があること。だから、自分の好みに合う店を見つけることが重要なのだ、と。
そして、リクエストを受ける店と、受けない店があること。リクエストを受ける店でも、なんでもかんでもリクエストをしてはいけない。その店の雰囲気、他のお客さんがどんなリクエストをしているかなど、今いるお客さんの好みなども少しは考えて、リクエストをするのがよい。
あまり同じレコードばかりリクエストがあると、お店の人は一日中いるのだから飽きてしまうから、その辺も忘れないように、人気盤をリクエストするのは慎重に、などと教わった。
今にして思えば、ジャズ入門の本を読んでの受け売りだったのだろうと予想がつくが、当時、ビリー・ホリデイの歌も聞いたことがなかった、ロック小僧のわたしには、新鮮な情報だった。そのおかげで、さまざまなジャズ喫茶に通うようになっていく。
ある日、「こんなのリクエストしたら、嫌がられるかな?」などといいながら、小林君がリクエストしたのが、チック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエヴァー』だった。
多くのジャズ喫茶は、レコードをかけると今流れているレコードのジャケットを所定の場所に掲げる。客は音を聴いて、一呼吸おいてジャケットを見ることになる。ジャズに詳しいぞ、という雰囲気を醸し出している客は、掲げられたジャケットをちらっと見て、ふん、という顔をして、あ、これね、といった感じで、それまで読んでいた文庫本などに、すぐ目を戻す。
しかし、ジャズをジャズ喫茶で覚え始めたわたしは、新しいレコードがかかるたびにそこに行き、ジャケットを手に取り、ジャケットの前や後ろを眺め、リーダーは誰なのか、楽器はどんな構成で、誰が演奏しているのかを、短い時間で頭に叩き込むのだ。
「チック・コリアは、マイルスのところにいたんだ。知ってる? 『ビッチェズ・ブリュー』とかね。『リターン・トゥ・フォーエヴァー』は、アルバム・タイトルでもあるが、グループの名前にもなってしまったんだ」
小林君は続けた。「このアルバムは人気があるから、お店の人は嫌がるかもしれないんだよな。でも発売されてしばらくたっているから、もうそろそろ大丈夫なんじゃないかな」
その音楽は、それまで聴いてきたジャズとも、大好きなロックとも違うように聴こえた。そして、爽やかで明るいことに新鮮な驚きを覚えた。それまで聴いてきたジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズなどとは、まったく違う風を感じた。
『リターン・トゥ・フォーエヴァー』の発売は72年だから、すでに3年もたっていたことになる。受験とはいいながらもロックやポップスは聴いていたが、ジャズの世界にはだいぶ遅れを取っているな、と実感した。
そしてしばらくして、「こんなのもあるぞ」と言ってリクエストしたのがチック・コリア&ゲイリー・バートンの『クリスタル・サイレンス』だった。《クリスタル・サイレンス》という曲は、『リターン・トゥ・フォーエヴァー』というアルバムのA面の2曲目に入っていた曲だ。もちろん、まだCDなどのない時代、レコードのA面だ。
タイトル通り、静かで美しい曲だが、こちらはコリアのピアノとバートンのヴィブラフォンの二つの楽器でのデュオだ。『リターン・トゥ・フォーエヴァー』では、フェンダー・ローズのエレクトリック・ピアノを弾いていたコリアだが、『クリスタル・サイレンス』では、アコースティック・ピアノに変えていた。
2人の演奏が始まると、お店の中の温度が、2~3度下がったような気がした。
「これも、ジャズなのか?!」わたしは小林君に尋ねた。小林君は「そうだ、これもジャズだ」と答えた。
2枚のアルバムは、ECMというレーベルから、マンフレート・アイヒャーというプロデューサーによって発売されていることを知った。そのころ、キース・ジャレットの『ケルン・コンサート』も発売され話題をよんでいたが、このアルバムもECMの作品だった。
また当時、よく読んでいた青土社の「ユリイカ」という雑誌の裏面にECMの広告が載っていた。その広告というのが、毎月1枚のアルバムを取り上げ、ミュージシャンや画家、詩人や文学者が、そのレコードと関係のあるような、ないようなコラムを書いていて、それがとてもしゃれている感じがした。また、ECMは音楽もさることながら、ジャケットもおしゃれだった。ただ当時から、人によって好きと嫌いの分かれるレーベルでもあった。
アルバイトをしてはレコードと本に注ぎ続ける人生を送っていたが、なかなかジャズのレコードまでは手が届かなかった。
その理由は、ジャズ喫茶に行けば、よい音で、しかも大音響で聴くことができたからだと思う。曲数が少ないからもったいない、といっていた友人がいたが、プログレッシブ・ロックでも、片面1曲などというのも珍しくなくなっていたから、このロジックは少し弱いし、ちょっと発想が貧乏くさい。また、ロックは大音量で聴けるロック喫茶などというのが少なかったということもある。
ずいぶんと大人になってから、ジャズのレコードを買うようになった。買えるようになったというべきだろうか。
今の仕事が軌道に乗るまでの間、グルメ・ライターの仕事をしていたことがある。10年くらい前になるだろうか。その時、日暮里の「シャルマン」を取材させていただいた。その時は、学生のころに通ったジャズ喫茶とは知らずに訪ねたのだが、お店の前に立ってすぐに思い出した。1階はすでにジャズ喫茶ではなかったが、2階で営業は続いていた。ウィスキーをいただきながら、マスターの話を聴いた。
今回、この文章を書くにあたって「シャルマン」を調べていたら、マスターは、数年前に引退し、以前、シャルマンに勤めていた方が店を続けているとのことだった。
ホームページもできている。そこで、オーディオというページがあったので見てみると、この店のオーディオの機種名が掲載されていた。パワー・アンプは、マッキントッシュのMC275だった。学生の時に見た、大きな真空管のアンプはこれだったのだ。ヴィンテージ・オーディオという昔からの機械を使い続けるという趣味がある。MC275は、1962年に発売されたアンプだが、いまだに人気がある。
実はこの文章を書いているわたしの横にも、このアンプMC275がある。今まで考えたこともなかったが、もしかしたらわたしはあの時、シャルマンで見て聴いたアンプに、ずっと恋していたのかもしれない。[次回4/2(水)更新予定]
■公演情報は、こちら
●東京公演
http://info.yomiuri.co.jp/event/2013/09/post-389.php
●大阪公演
http://www.kyodo-osaka.co.jp/schedule/E012936-1.html
●福岡公演
http://www.yolanda-office.com/concert/20140626.html
■参考
ECMの広告:当時、関係していた方が紹介していました。
日暮里のジャズ喫茶「シャルマン」

