3月末に『笑っていいとも!』を引退するタレントのタモリさんは、大の「坂道」好きで有名ですが、クリエイティブ集団「タグボート」の岡康道氏と麻生哲朗氏も負けていません。このふたりは、実在する坂道で繰り広げられる人間模様をリクルートの住宅情報誌『都心に住む』で短編小説として連載、それが『坂の記憶』として書籍化されました。



 本書には神楽坂、乃木坂、宮益坂などの有名な坂から、網の手引坂、相馬坂、かむろ坂など知る人ぞ知るマイナーな坂までをテーマにした32本の短編が収録されており、最後のページには坂道の解説とマップが付いています。



 例えば、乃木坂ではデザイナー職から営業職へと転属になった「ハンザワさん」のストーリーが繰り広げられます。突っ走っていたデザイナー時代から営業職へ変わり、なんとなく安心感を覚えている「ハンザワさん」。本書では彼の気持ちを乃木坂に重ねて「実体のない街。夜。消えて行く男...そんなベールに包まれた演出の効いたフレーズだとハンザワさんは思う。急に自分が謎めいた感じがする。実際は何のことはない平穏な夜であることは分かっている」と表現しています。



 かむろ坂では、その近くに彼氏の実家があることを知らない彼女が、堂々と二股をかけている様子を描いています。彼はそれを咎めようともしないし、それについて触れることもしない。彼は彼女の二股を知っているという優越感に、暗い気持ちを持ちます。「ヘンな話だが、将来やってくる自分の瞬間に、不安と興味を感じるのだ」という彼の言葉に、リアルな戸惑いが表現されています。



 それぞれの坂を舞台に繰り広げられる、それぞれの人生。リアルな人間たちが描かれた本書の中の人物が、もしかしたら本当に街のどこかの坂道を歩いているかもしれません。