1975年5月、広島市内のある中学校にマナブという転校生がやってくる。一攫千金をねらっては失敗をくりかえす父親とともに引っ越しを重ねてきたマナブは、「よそモン」として新しい土地で無難に生きるため、いつしか「観察の達人」と化していた。そんなマナブの目に映る広島は、他の街とは明らかに何かが違った。そこには、原爆被害の陰と広島カープへの熱狂がいつもからみあうようにあった。
 マナブは、すぐに仲良くなったヤスとユキオやクラスメート、そして近所に暮らす人々を通して、戦争が、原爆が及ぼした激烈で哀しい実態を知り、「よそモン」の域を超えて広島を学んでいく。ヤスをはじめ、自分の同級生が原爆の後遺症で家族を失っている現実……敗戦から30年、1975年はまだそういう時代だった。
 その一方で、1975年はカープが初優勝した年でもあった。それまで濃紺だった帽子を赤に変えたカープは赤ヘル軍団と呼ばれ、球団創立26年目にして、ついにセ・リーグを制した。前年も含め最下位の常連だった弱小貧乏チームの優勝は奇跡とさえいわれたが、広島の人々は、時に暴動をおこすほどチームを愛し続けていた。
<「『明日こそ』いうんは今日負けたモンにしか言えん台詞じゃけえ、カープは、セ・リーグのどこのチームよりもたくさん『明日こそ』をファンに言うてもろうとるんよ……」>
 ユキオが語ったとおり、カープとファンは一体化していた。カープが優勝に迫っていく日々は、だから、ファンにとっても奇跡に近づく体験だった。マナブはその数カ月間を目撃し、優勝パレードの日、「よそモン」から少し脱した広島を去っていった。
 なかなか来ない明日がついに広島に訪れるまでの二度とない時間、1975年。そこで変化していく少年少女の姿を、重松清は小説の力を駆使して描き上げた。繊細な叙述と広島弁がからみあって生まれた、うなるほどの傑作。

週刊朝日 2014年2月28日号