『プレイリー・ウィンド』ニール・ヤング
『プレイリー・ウィンド』ニール・ヤング
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 アルバム『グリーンデイル』、その全曲を聞かせるツアー、そして同名映画の制作。2002年から04年にかけて、架空の町を舞台にした作品に、呆れてしまうほど熱心に取り組んだニール・ヤングは、翌05年春、ハンクと命名された愛器マーティンD-28を抱えて、ベン・キースらとともにナッシュヴィルに向かっている。このとき、彼は59歳。11月には還暦を迎える。それまでに歩んできた道、出会い、人生の大きな節目といったことを意識した作品を、カントリー音楽の聖地を拠点につくり上げたい。そんなことを考えていたようだ。

 テーマは明確であり、曲はほぼすべて書き上がっていたと思われる。レコーディングは短期間で進み、発売を前に、ナッシュヴィルのライアン・オーディトリアムで全曲を演奏することが決まった。そして、そのライヴを中心に、『ストップ・メイキング・センス』や『フィラデルフィア』で知られる監督ジョナサン・デミがドキュメンタリー作品を制作する(翌年、『ニール・ヤング : ハート・オブ・ゴールド』のタイトルで公開された)。

 ところが録音終了間際、ニールの脳内に動脈瘤が見つかり、緊急手術を受けることとなった。さらに、6月には文筆家だった父スコット・ヤングが亡くなる。15歳のころ家を出ていった父のことを、ニールは「ドント・ビー・ディナイド」などいくつかの曲で歌ってきた。文章に向かう姿勢に関しては父から影響を受けているはず、とも語っている。ある程度は予期していたことであったのかもしれないが、ナッシュヴィル録音のために書いた曲の大半は、カナダで過ごした少年時代や父との思い出を描いたものだった。

 05年9月に発表されたアルバムのタイトルは『プレイリー・ウィンド』。草原を渡る風、である。「すべての夢を追いかけていたら、道を見失ってしまう」と歌う《ザ・ペインター》。「俺が死んだら草原に埋めてくれ」というラインが印象的な《ファー・フロム・ホーム》、「父の言葉を思い出そうとしている」と歌うタイトル曲。フィクションに徹した『グリーンデイル』から一転、還暦を前に、ニールは穏やかな音で自らを描いた。手書きのレジットには、「父さんに捧げる」と記されている。[次回2/17更新予定]

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大友博

大友博

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

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