――カメラの記憶はいつから?
おやじが持っていました。ぼくは昭和33(1958)年生まれですから、あの当時カメラは家庭でも特別な存在で、おやじにとってもステータスだったと思うんです。ぼくの歌に「NとLの野球帽」という曲があって、その中に「大事そうにシャッターを押す親父を覚えてる」という歌詞があるんですけど、子ども心におやじがシャッターを押す姿が誇らしかったですね。
2年くらい前に昔のアルバムを見ていたら、あることに気づいたんですよ。それは、このアルバムに写真を貼ったのはおふくろであるってこと。どの写真も、おふくろの表情がいちばんいいんです(笑)。ぼくや兄貴は半目だったりボケたりしてる。やっぱ女の人ってすごいですよね(笑)。レンズを通しておやじに笑顔を送ってますから。ぼくらを飛び越えて愛が存在してるわけです。これは美しいなと思って、さらにおやじの写真が好きになりましたね。自分がカメラにのめりこむようになって、やっと気づきました。
――自分で撮り始めたのは?
1990年のロンドンでのレコーディングのとき、雑誌の編集者からいきなり一眼レフを渡されたんです。キャノンF-1だったかな。ISO400のトライXもごそっと渡されて、「チャゲさん、これでロンドン撮ってきて」って(笑)。100本くらいありましたね。「ちょっと待って」と言ったら「チャゲなら大丈夫だから」って(笑)。一応、使命感で下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるって感じで全部撮って、指定されたロンドンの現像屋さんに持って行きました。まあ、できあがりは惨憺(さんさん)たるものだったですね(笑)。でも、その中に4枚ピンとくるのがあった。その4枚が自分の中で「カメラって面白いかもしれない」と思うきっかけになったんです。ただ、カメラって計算したり測ったりとむずかしい。ぼくは音楽をやってるわけでそんなことしてる場合じゃない、とも思った。そのうちに世の中がデジタルの時代になりました。
――デジカメはどうでしたか。
もう革命でしたよ! 印刷しないですぐに見られて、悪いのは捨てて、どんどんシャッターを押せる。デジタルじゃなかったら、ここまではまりこんでないですね。ツアーにも必ずカメラを持って行くようになりました。カシオのコンパクトやソニーのサイバーショットシリーズを使って、キャノンEOS 5Dで「なんじゃ、このすごいカメラは!?」とまた衝撃を受けた(笑)。じつは5Dで「missing pages」という25分の短編映画を作ったんです。パラパラ漫画のような世界を出したくて膨大な枚数を撮りました。ムービーは絶対に使いたくなかったので5Dで連写、連写です。主演は俳優の長谷川ショパン(初範)さん。一眼レフに向かって演技しほしい、なんてプロの方なら戸惑うし、失礼なことですよね。でも面白がってくれて、撮影は大変だったけど、いまも戦友みたいにおつきあいさせてもらっています。この作品をつくってから、写真を愛する気持ちが音楽と同じくらいになりましたね。
――カメラと音楽は近い?
ぼくは写真をバシバシ撮って捨てて、撮って捨てて残していくんです。この捨てる作業がね、まさに音楽と一緒なんですよ。断腸の思いで捨てなきゃいけないんですけど、捨てる勇気をもつことによって残ったものがよく見えるんです。1枚の写真からイメージが膨らんで、消えてしまった前後の感情や状況もよみがえりますから。そういう世界が好きで、最近は写真のような曲を作りたいと思っています。つまり聞いた人が、ぼくの思った風景と同じ映像が浮かぶような曲が作れたとき、楽曲は完成なのかなと。写真はぼくの気持ちをそのまま伝えるアイテムなんですね。調子が悪いときは、レコーディングと一緒でシャッターを押せてない。カメラって楽器みたいなもので、音楽と同じで正直です。
いまはペンタックスK-5がメーンです。最初、K-7に触ったときは「この小ささで大丈夫なの?」と思ったけど、すっごく技術が凝縮されてて「技術者の根性だな!」とびっくりしました。そしてK-5と、アナログに近づこうとしてるのがわかるんです。温かい写真が撮れて不思議です。レンズは18~135ミリの1本。テーマが「チャゲの目線」だからカメラがぼくの心眼になって、ぼくが見た景色をちゃんと伝えてくれればそれでいいんです。
※このインタビューは「アサヒカメラ 2011年6月号」に掲載されたものです