



――カメラとの出合いは?
高校時代、下宿先の大家さんの息子がカメラ好きで、現像もしていたので教わったりしていました。撮った写真を自慢そうに見せてくれたのでほめたら、すごく興味があると思われて(笑)。写したものを印画紙に定着させるなんて初めて見たから、「こんなことできるんだー」って感心してね。ニコンの小型カメラを安くゆずってもらって、自分で暗室に入っていた時期もありますよ。その作業が楽しかったですね。でもあっちこっち写してたらお金がなくなって、「あーこれは大変だなぁ」と思いました。それで、お金もなくてやめちゃってたんですけどね。
――EOS 5D MarkIIはなぜですか?
前にキヤノンのボディーを持ってて、キヤノンのレンズばっかり持ってますから。レンズが高いからね(笑)。レンズって明るさが違うだけで、全然違うものが撮れるでしょう。見てるものと、写真に定着するものの差っていうのを初めてこのカメラに教えられたというか。「ああそうか、見てるまんま撮ったってつまんないんだ」と。やっぱりぼくらの目のほうがうんとすぐれてるから、カメラで撮ることを理解してシャッターを押さないと、錯覚したような、どうでもいい写真しか撮れなくなっちゃうということを教わったですね。たとえば東大寺二月堂の「お水取り」によくいくんですけど、和上が部屋の中でぼくらにお茶をふるまってくださるときの一瞬の表情とか、お松明(たいまつ)にドン!と火のついた瞬間とか。あの薄暗い中ではこういうデジカメでないと無理ですよね。6400くらいまでISO感度を上げて何枚か撮るんだけど、フォーカスが合わないじゃないですか。まあ、それがよかったりするんですけどね(笑)。ブレてて、すごい臨場感があったりして……。
そういう楽しみを覚えると、こんどは旅先に持って歩くようになりました。撮ってると自分がどこを歩いてきたかもわかりますしね。飛行機の中から風景を撮るのもいいですね。俯瞰で撮ることなんてなかなかないし、ぼくはけっこう田舎者だから富士山が好きでねえ。富士山めがけて飛行機に乗ります(笑)。長崎帰るときは、(座席は)左の窓側。揺れてるからほとんどブレてるんだけど、夢中でパシャパシャ撮ってると、たまに登山道のギザギザにきれいにフォーカスが合ってたりしてね。神様がくれたような奇跡的なことがときどき素人にも起こりますね。シャッタースピードとかISO感度とか、デジカメって自由自在にトライできるじゃないですか。同じものを撮るのでも5種類くらいインプットしてダダダダッと撮ってチェックできる。この傾向だな、と思ったらそこに合わせて撮れるから、そういう意味ではデジカメさまさまですね。ぼくはデジタルともっとも対極にあるような仕事をしてるので。
――デジタルも悪くない?
そうですね。小説も書くようになりましたけど、パソコンが登場しなかったら小説なんて一生書けなかっただろうと思うんですよ。原稿をよごすのがきらいだから書き損じっていやなんです。コピーペーストが自在にできて、「違う」と思ったら元に戻せる。これができるようになって小説を書く気になったんです。原稿をプリントアウトするのもフォントにお金はかかりますけど、自分のイメージどおりきれいにできると、「よっしゃあ!」って感じですね。
――そういうご自身の写真から曲が生まれることはありますか?
うーん、あるでしょうね。あざといので人には見せないけど(笑)。ドラマのあるような絵がポッと撮れたりすると「おお!」と思いますね。ぼくは写真集を見るのも大好きですし、だれが撮ったのでもいいから感動的な写真を見て、そこから物語をときほぐしていくとか、その一枚が物語の最後にくるように想定する、というのはわりと好きでやりますね。ぼくの歌も必ずそうです。最後は一枚の絵におさまる、あるいは一枚の絵がほどけて物語が始まる……。だから落ち着いた写真が好きです。
※このインタビューは「アサヒカメラ 2010年8月号」に掲載されたものです

