昭和33年生まれの柏木イク。嬰児の頃からさまざまな人に預けられて育ち、5歳から実の両親と暮らし始める。シベリア抑留経験者の父は癇癪持ちで、そんな父との結婚に失望している母は、娘に愛情を注ぐことがなかった。イクは滋賀から東京の大学に進学し、卒業後は庶務の仕事に就く。恋にも無縁なまま、東京と滋賀を往復する遠距離介護。やがて自らも病を患い、49歳になっていた。
激動の昭和を生きた女性の奮闘記や、犬との友情物語を期待すると、肩すかしを喰らう。イクの傍らにはいつも犬がいた。雑種の犬、近所の姉妹が飼っていたコリー、大家がかわいがっていた小型犬。平凡な人生の時々に、犬との関わりがあった。ただそれだけだ。表紙の犬が遠くからこちらを見ているように、本書も遠景からイクの人生を掴み、淡々と語る。
「犬が笑うとこを、一回、見てみたいもんやね」とイク。分かりやすい幸せはなくとも、犬との交流や、その時の心の安らぎがイクを包み込んできた。読了後にようやく、地味でも滋味深い人生の温もりが伝わってくる。イクは確かに犬の笑顔を見ていた。
※週刊朝日 2013年12月20日号