落語好きの知人に勧められて手にとった、精神分析家によるユニークな落語論。
 主題はふたつ。
 まずは、落語の根多(ねた)を〈江戸から明治大正にかけての民衆の生みだしたフォークロア〉としてとらえ、そこに表出している民衆の無意識を分析しようと試みている。題材には、「らくだ」「芝浜」「文七元結」「居残り佐平次」など大根多が取りあげられ、簡潔なあらすじを紹介した上で探求がはじまる。
 たとえば「文七元結」。五十両を盗られて吾妻橋で自殺しようとする大店の手代、文七を死なせないために、娘を人質に女郎屋から借りた五十両を与えてしまう博打好きの長兵衛の心理とは、いったいどんなものなのか? 著者は、英国の分析家が提唱した「環境としての母親」という言葉で長兵衛の行動をとらえ、乳児に対する母性的な無私無欲に言及し、そこから江戸っ子の本質を解き明かす。
 江戸っ子の属性に、献身的な母性によく似た無私が含まれるとは……このような意外な分析結果を導く一方、著者はもうひとつの主題である〈落語家という生き方〉にも深く入りこむ。その根底には、落語家と精神分析家はどちらも単なる職業ではなく、〈ひとりでこの世を相手にしている生き方〉そのものであるという考えがある。人間がどうしても抱えこんでしまう災厄の中でも始末の悪い孤独と分裂を仕事の中核に置く、落語の国の住人たちへの共感。そして、それらに共鳴する著者の思いは、本人は決して落語の国に安住できずに逝った立川談志を論じたときに最も熱く、深く、切実につづられていた。「立川談志という水仙」は、談志論の傑作である。
 おそらく著者は、この本を誰よりも談志に読んでほしかったのだろう。優れた演者であるとともに最も鋭い批評家でもあった談志に、このような視座から落語を、あなたを分析できると伝えたかったのではないか。残念ながらかなわなかったその願いは、巻末にある立川談春との対談に託されている。

週刊朝日 2013年9月27日号

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