



音楽の世界において、いや、人類の歴史において、重要な日という意味で、わたしは、ジョン・レノンとポール・マッカートニーが出会った日をあげたい。
「1957年7月6日」、英国の港町リバプールにあるセント・ピーターズ教区教会に、ポール・マッカートニーは、友人に誘われてあるバンドを見に来た。ジョンがリーダーを務める「クオリーメン」の演奏だ。
ジョン・レノン16歳、ポール・マッカートニー15歳の出会いだ。日本でいえば、高校3年生と1年生。この二人の出会いが、世界を変えていくことになる。
ライヴが終わった後、ポールは、ジョンたちの前で、演奏をし、ジョンのバンドに入ることになる。
ビートルズに関する本や映画はたくさんあるのだが、この7月6日、1日だけを書いた本に、『ジョンがポールと出会った日』がある。
この本は、8年間にわたる調査に基づいて書かれており、1957年7月6日の午前3時33分のリバプールの朝の描写で始まる。
また、若きジョン・レノンを描いた映画『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』のなかでも、二人の出会いが描かれている。
ジョンがビートルズ解散後、初のソロアルバム『ジョンの魂』の最初に《マザー》を持ってきた背景、母親との関係なども、わかろうというもの。この手の映画は、見るに耐えないものも多いのだが、本作は、青春映画としても楽しめる。
さて、ポールは、15歳で出会ったジョンたちとザ・ビートルズを結成し、1962年10月に「ラブ・ミー・ドゥ」でレコード・デビュー。1970年に解散。1942年生まれだから、まだ、28歳だ。
その後、ポールは、妻リンダとのソロ活動を経て、ウィングスを結成する。
このあたりのことは『夢の翼』というDVDで、愛娘のメアリーのインタビューに答えている。このビデオ、ウィングスの記録というより、ビートルズ解散後のリンダや子供たちとの思い出を語っているビデオとして見たほうがよいかもしれない。
また、ウィングスの最初のツアーは、車で移動しながら、大学などに突然現れ、交渉して、ライヴを行うというスタイルで行われた話など、興味深い。
ソロ・アルバムの『マッカートニー』や『ラム』が好きな方にも、おすすめだ。
ウィングスは、71年に結成され、81年の解散までに、《死ぬのは奴らだ》《バンド・オン・ザ・ラン》《ジェット》などのヒット曲を連発する。
1981年1月、日本公演のために来日した成田空港で、大麻取締法違反(不法所持)で現行犯逮捕される。もちろん、来日公演は中止。留置場の中で、ポールが歌ったなどという噂を聞いたが、実際のことは知らない。
これをきっかけに、ウィングスは活動を休止する。
その後、ソロ活動を再開。
1980年、ジョン・レノン射殺。ジョン40歳、ポール38歳だ。
ポールは、数ヶ月の間、自宅に閉じこもっていたという。
その後、ビートルズ時代のプロデューサー、ジョージ・マーティンと組み、スティーヴィー・ワンダーやマイケル・ジャクソンとのデュエットも行った。このころは、MTV全盛の時代で、マイケル・ジャクソンと発表した《セイ・セイ・セイ》の映像は、短編映画を観るような楽しさだった。
1998年、妻リンダが、乳がんのため死去。
最近は、大ヒットはないものの、各種フェスティバルへの積極的な参加。新譜の発表なども含め、話題には事欠かない。
ポールの過去の傑作を振り返りながら、現役のポールにも、会いに行きたい。[次回9/11(水)更新予定]
■公演情報は、こちら
http://outthere-japantour.com/