猛暑のお盆の入りの日、私は戸越銀座の駅に降り立った。私の最寄り駅からわずか二〇分だというのに、ここに来るのは初めてだ。五反田から二駅、その昔、歌にも歌われた“池上線”の駅は、ずいぶん近代化されたとはいえ、ちょっと大きな路面電車の停車場ぐらい。踏切前に立つと、前にも後ろにも長い商店街が続いている。東京一長い商店街はこれか、としばし眺めていた。
星野博美『戸越銀座でつかまえて』を読み終わり、どうにもこうにもこの場所へ行ってみたくてたまらなくなった。私にとって星野博美は旅する作家だ。『謝謝! チャイニーズ』(文春文庫)や『転がる香港に苔は生えない』(文春文庫)で植えつけられたイメージが、この本で少し変わった。嫌で嫌で、一度は抜け出した地元に戻って暮らした六年半。その日常をつづったエッセイは、この作家の新しい魅力がいっぱい詰まっていたのだ。
就職を機に、地元を離れて一八年。フリーランスの物書き&カメラマンを職業とし、自分の書きたいものを書き、撮りたいものを撮って「作品」としてきた。困窮したこともあったけど、「自由」というやつを守るために、それなりに必死でやってきた。
読者からすれば、やはり転機は二〇〇一年に『転がる香港に苔は生えない』で大宅壮一ノンフィクション賞を取ったころだと思う。多くのファンが付き、たくさんの書評が出て作家としての地位が確立された。想像だが、仕事も増え、収入もある程度は安定したのではないだろうか。
多分、とてもまじめな人なのだろう。自由でいる、と決めたことを頑なに守ろうとしたんじゃないか。適当に人に迷惑をかけたり、嘘ついたり、諦めちゃったらよかったのに、それをしないと自分で律するあまり、星野博美は壊れてしまった。
よくある話だな、と思う。出版業界に限らず、第一線で働く女子は概して真面目だ。そのことが当たり前で、辛いことに陶酔する。自分もそうだったし、まわりでも心身を壊して離脱する女子は多い。
星野博美の場合、最後の堤防が決壊したきっかけはネコの死だった。10年以上一緒に暮らしたら、もう、ただのペットではない。心の拠り所、唯一のつっかえ棒を無くし、彼女は実家に逃げ込んだ。この行動、褒めてあげたい。きっとさまざまな葛藤があっただろうに、地元に逃げ込むという一番正しい選択をした、その勇気を。
それからの暮らしぶりを5章に亘って語っていく。
第1章の「とまどいだらけの地元暮らし」では、自分がどういう立場にいるのか、を徐々に理解していく。親元に帰ってくる子ってどんな子? いい年をした女は何と呼ばれる? 自分が差別されるという発見が、外から見る「自分」って何かを考えさせられる。
第2章の「私が子どもだった頃」では、懐かしい記憶を蘇らせ、第3章「あまのじゃくの道」は、今まで読んできた星野博美のテイストが味わえる。冷静なのに熱血、辛辣なのに深情け、そしてむやみに頑なな姿が愛おしい。くるくるカールの女性誌から抜けでてきたような人が集まる女子高の同窓会に、40過ぎた女が安全靴を履いていくだろうか。
圧巻は第4章の「そこにはいつも、猫がいた」。ケモノバカを自認する私にとっては他人事ではない。喪失を怖がっていまは飼っていないけれど、生き物を愛する人ならば、みんな共感するはずだ。
最終章は6年半経った今、のこと。足元に忍び寄る老後について考え、いつの間にか地元民どっぷりになっている。
戸越銀座の駅を降り踏切を渡ると、そこには大きな看板がそびえている。〈好きですこの街 とごしぎんざ〉と道をまたいで、まるで鳥居みたい。
野菜や果物を山盛りにした八百屋のどれかが傷んだバナナを売りつけ、どこにでもありそうなドラッグストアの前で、震災後のトイレットペーパーバトルがあったのか、と想像する。鶏のから揚げ屋の前では昼からビールを飲んでいる。生き残ったのね、と笑いが込み上げる。
真夏の昼下がりなのに、日傘をさしていたのは私だけ。不思議に思って観察すれば、両手いっぱいに買い物袋を提げているか、カートで体を支え歩いているお年寄りは、傘を持つ余裕なんてないのだとわかった。
ぶらぶら歩いておよそ1時間。楽しかったけれど所詮ヨソモノである。どこかで星野博美に会えないかなと、足元ばかり見ている自分に気づく。安全靴しか見分けられるところがないものなあ、とまた少し可笑しくなった。もう、星野博美は大丈夫。強(したた)かなおばあちゃんになっていくに違いない。