『荒地の家族』で芥川賞を受賞した作家の佐藤厚志さんと、『私の夢まで、会いに来てくれた』などの編著者で、社会学者の金菱清さん。宮城県仙台市で東日本大震災の激震を経験した。「災厄」に見舞われた人々と時間を共にし、被災地の変化を目の当たりにしてきた二人が、震災を言葉で綴る意味を語り合った。
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金菱清さん(以下、金菱):震災の傷は被災した人が個々に持っていて、深さもそれぞれ違います。ところがマスメディアの報道では、情報が表面的にコンパクトに集約されてしまう。私の研究は、そうした「震災のシンプル化」に反逆するものだと思っています。『荒地の家族』にも同様のものを感じました。
佐藤厚志さん(以下、佐藤):執筆の過程をお話しすると、中学時代の友人が植木職人で、仕事ぶりを長く見てきたので、彼をモデルに一人の生活者の日常を書きたいと思ったのが動機でした。舞台を亘理(わたり)町にしたのは祖父の実家があり、馴染(なじ)み深かったからです。
震災を小説のモチーフの一つとして扱うと、「震災文学」とくくられてしまいます。でも、私は積極的に書こうとしたのではなく、地元に広がる風景をごく当たり前のものとして書いた感覚なんです。亘理町も津波に襲われましたが、宮城県に住んでいると、被害の範囲が広かっただけに、被災した場所が視界に入ってきてしまう。小説の背景として震災に触れざるを得ないんです。
金菱:小説は主人公や時代の設定を自由に動かせることが利点です。『荒地の家族』は、災厄が震災でなくても成り立つ話ではありますよね。
主人公の坂井祐治の最初の妻は震災ではなく、2年後に病気で亡くなっています。私が佐藤さんの筆にうまさを感じたのは、その設定でした。震災を描きつつも、妻の死を震災に関連づけないことで、自分の傷は誰とも分かち合えない、という固有性を持たせています。
佐藤:おっしゃる通りで、経験したことや想起することは一人ひとり違います。被災地、被災者とひとくくりにすると、イメージが漠然としてしまいますし、そこから漏れてしまう経験や感情が無限に出てきます。大きくは拾えませんが、身近にあった経験や感情の細かい部分を、一つか二つでも小説に込められたらいいと思っています。