フリーになったばかりの20数年前のことだが50歳代のカメラマンの方から、こんなことを言われた。
「カメラマンになるのは簡単なことだよ。資格も何もいらないのだからカメラマンだと宣言すれば、誰でも今日からカメラマンだ。でも難しいことがひとつだけある。なんだと思う?」
 わからなかった。
「カメラマンであり続けること」
 言葉の意味がわからなかった。なんだか煙に巻かれたような気持ちになった。
 いまだったら、その方が口にした意味はわかるつもりだ。かつて『消えた漫画家』という本が存在したが、その本のタイトルにならうならば、私は多くの消えたカメラマンを目にしてきたからだ。誤解していただきたくないのは、消えることがよくないというつもりはないことだ。違う道を選ぶことは、悪いことでもネガティブなことでも間違ったことではない。私が言いたいのは、継続することは思いのほか難しいということだけだ。
 難しさのひとつは、間違いなくお金だろう。クリエイターの多くはあまりお金のことは話したがらない。私も普段はそうだ。自分からギャランティについて、切り出したことはほぼない。だけど、「カメラマンであり続けること」を語る上では、さけては通れないことなのであえて記してみたい。

 当然のことだが、仕事がこなければ、やがて経済的に困窮する。私の知る限り、最終的に写真から去っていく者の理由は、結局、経済的な問題がほとんどだ。
 時々、若者から写真に関して、相談をうけたりする。そんなとき、「貧乏でも、やる気さえあれば」とか「貧しくても、好きな写真を撮り続けたい」という言葉を聞く。私は少なからず複雑な気持ちになる。その気持ちはいつか、萎えてしまわないか、消えてしまいはしないだろうか、と心配になるのだ。そして実際、経済的な理由に押しつぶされてしまうのが現実だ。
 さらには、その貧乏とはどの程度のことを言っているのか、逆に貧乏しても好きなことができるのだったら本当の貧乏ではないのではないか、などと考えだすと、私もわからなくなっていく。

 もしお金持ちになりたいのだったら、写真を職業に選ばない方がいい。私は自分の元に新しいアシスタントが来たら、最初にこのことを伝えるようにしている。
 私は写真が好きだから、写真を撮ることが職業として成立して、さらに継続できるだけのお金が得られれば、それで幸せだと思っている。けっしてお金持ちではない。アシスタントには生活するぎりぎりの給料はなんとか払えるが、それ以上は申し訳ないが払えない。そのことも必ず話すようにしている。
「きみがアシスタントでいるあいだに貯金できることは残念ながらないだろう。だから、いまお金持ちになりたいのだったら、世の中にはもっと給料のいい会社とか、お金を稼ぐ方法はきっとたくさんあるので、そっちへ行った方がいい。それに独立してカメラマンになれたとしても、お金持ちになれる確率はかなり低いだろう。それでもやりたいのだったら、やるべきだと思う」
 ずいぶんと冷たい言い方に聞こえるかもしれない。でも、本当のことだからしかたがない。現実を知った上で、覚悟をもってやってほしいという気持ちからだ。
 そんなことを突然話された20代の若者たちは、誰もがきまって困ったような顔をする。かつて私が歳の離れたカメラマンの方の言葉に詰まってしまったのと同じなのかもしれない。この4月に新しいアシスタントがやってきた。彼にもこのことを伝えた。ぽかんとしていた。

 20代の頃、特にお金に苦労した。常に綱渡りだった。仕事がたいしてなかったこともあるが、仕事の報酬がなかなか払ってもらえないという問題が大きくあった。それまで3年ほどのサラリーマン生活では絶対に遭遇しない問題だった。
 その問題がすべてのカメラマンに起きている現象ではなく、若いカメラマンに集中する傾向が高いことに、あるとき気がついた。つまり、ギャラが安い上に、リスクが高い仕事は忙しかったり、実力のあるカメラマンはさける。すると、当時の私のように、ひまで未熟で仕事を選ばないカメラマンに自然と回ってくることになる。実にわかりやすい構図だ。
 リスク、それは何を基準に計ればいいのか。
 あるとき、人を介すれば介するほどそれが高まることに気がついて、はっとした。