福永信をはじめて読む人は覚悟しといたほうがいい。なにしろ彼は文学と現代アートの区別がついていないのだ。読者は必ず悩む。この作家は天才なのか、それとも……。
新刊の『三姉妹とその友達』には3編の中短編が収められている。うち「三姉妹」と「そのノベライズ」はワンセットの作品だ。「三姉妹」なのに登場するのは4兄弟。
「第一幕」には長男が出てきて、とうとうと語りはじめる。〈どうかその手にもっているものを投げすててくれ〉。彼が投げすててくれと懇願しているのは多機能携帯電話、いわゆるスマートフォンである。〈いかにそれが人を蝕むおそろしい悪魔の発明品であるか、よく理解し、いさぎよくおさらばしてくれ〉。そのかわり〈貝がらを手にして……それを耳にあててくれ〉。そうして〈遠い記憶を呼び出してくれ〉。
「第二幕」に登場する次男は〈どうか、同窓会に参加してくれ〉と懇願する。それは人生で出会ったすべての人が集まる「人生同窓会」。〈まだ「失敗していない」自分と出会うことができる、またとない機会〉だ。そして次男も付け加える。〈そのにぎっているものを、今すぐに廃棄してくれ。そんなものをにぎりしめて……〉
「第三幕」には三男が「第四幕」には四男が登場するが、そこは割愛する。込み入ったストーリーも無視していい。初出の文芸誌「群像」では「そのノベライズ」の部分が「今号のあらすじ」としてページ隅の囲いの中に印刷されていた。読者への小さな親切ってやつである。
人が携帯電話で話す姿と貝殻を耳に当てる姿は、思えばきわめてよく似ている。これを読んだら最後、人々がスマホに縛られている姿が不気味に見えてくるだろう。そして叫びたくなるはずだ。〈貝がら以外のものは、海に投げすててくれ〉
巻頭の注意書きにいわく。〈三姉妹で演ずる事、四人目は演出において創意工夫の事〉。女性の声で語られるべき兄弟の言葉。面倒臭いなもう。でもそれが福永信なのよ。
週刊朝日 2013年3月22日号