日本が中国化している。経済は中国依存だし(中国がくしゃみをすると、日本が風邪をひく)、尖閣問題をきっかけに中国が日本の領土を奪っていく……なーんて早合点してはいけない。若手歴史学者、與那覇潤が『中国化する日本』で述べているのは、日本社会の中国化である。中国政府とも中国共産党とも人民解放軍とも、まったく関係ない。
中国は世界でいちばん進んだ国だ、というのが著者の前提だ。宋の時代(960~1279)に貴族制を廃止し皇帝に権力を集中させた。官僚は科挙によって広く集める。経済は自由。
著者はあまり強調していないけど、科挙というものが鍵だったとぼくは思う。前科者など一部の例外を除いて誰でも受けられた、つまり人間の能力は平等で、努力の差が結果の差になる。難問奇問愚問のイメージもあるが、実際には考え方を問うものだったらしい。そこから科挙の合格者は頭がいいだけじゃなくて徳もある、となる。トップの皇帝は徳の体現者だ。
新自由主義経済の社会に似ている。勝ち組は努力したいい人で、負け組は怠け者のだめな人、と。
「中国」と正反対なのが「江戸」だ。江戸時代は身分制で階級移動をできなくし、ムラとイエで個人を縛った。不自由だけど、保護もされているので、現状維持で満足という人にはハッピーだった。
中世から現代まで、日本の歴史は中国化と再江戸時代化の両極のあいだを揺れ動いてきたと著者はいう。なるほど、こういう見方もあるのか、とエンタメ的におもしろい。異論反論もいろいろあるだろうが。
現代の日本社会が中国化しているというのはその通りだと思う。もうムラもイエもない。正規雇用労働者はどんどん減り、みんな流民のようになっていく。いくら「絆」だなんだと言っても、崩壊してしまったものの再現は難しい。
中国化は歴史の必然なのだろうか。中国でもなく江戸時代でもなく、という第三の道はないのか。
週刊朝日 2012年11月9日号