大通りから入った、古くて汚いビルディングの、あちこちの小さな部屋に、たくさん「神聖娼婦」たちが待機して、ぼんやりと声がかかるのを待っていた。声がかかると、彼女たちは、円山町あたりに山ほどあるラヴホテルに「出勤」するのである。年齢がひどく上の女も、大丈夫なのかと思えるほど年下の女もいた。暇な時間、マンガを読んでいる女もいた。ひとりでトランプ占いをしている女もいた。何人かで待機しているときには、女たちは、決して、目を合わせたりはしなかった。

 聖なる女たちを呼び出す魔法の番号は、夕刊紙の広告か、電話ボックスの内側に貼られた名刺大のチラシに印刷されていた。風俗専門の分厚い雑誌さえあった。この神聖なテリトリーは、昼間は閑散とし、夜になると人口は一〇倍にも増えるのだった。

 久しぶりに、昼間、道玄坂上交番から東急本店に向かう細い道を歩いた。若者ばかりがいた。いまはライヴハウスや映画館がある。ラヴホテルの前には、中が見えないように窓ガラスに黒いカーフィルムを貼った車が何台も止まっていた。駐車場に入っていないから、まちがいなく、「営業」中の女たちを待っている車だ。そんなラヴホテル街のまん中に、千代田稲荷神社がある。ラヴホテルで周り三方を完全に囲まれた神社など、ここにしかないだろう。知らなければたどり着けないほど、目立たない神社だ。四〇年前から壊れそうだった鳥居の前で、わたしは立ち止まり、目礼をした。鳥居から祭壇までわずか数メートルしかなかった。

 もしかしたら、人々が必死に渋谷を作り直そうとしているのは、この土地にずっと住みついている、なにか禍々しいものを、見えないようにしたいからなのかもしれない。

 作家たちは、切羽詰まると渋谷を訪れ、その土地に触れた。ときには、人々が目をそむけるようなものを書いた。

 村上龍が小説『ラブ&ポップ』を書いたのは一九九六年。それは、ほとんどが――ひとりの女子高生が他の三人の友だちと一緒に、渋谷に水着を買いに行く一日の物語。そして、偶然、美しい宝石を見つけた彼女は、それを手に入れるために、「援助交際」をしようとする。そして……。その後、どうなったかは小説を読むか、映画を観てもらいたい。

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庵野秀明が表現した渋谷とは