九八年に『エヴァンゲリオン』の庵野秀明が監督した映画版のラストは、映画史に残る名シーンとなった。「死に近い旅」を終えた四人の女子高生たちは、水がほとんど流れていない渋谷川を歩き始める。「あの素晴しい愛をもう一度」が流れる中、カメラは、そんな彼女たちを延々と追い続ける。川底を歩き続ける彼女たちの上方を、新しい渋谷の建物が次々と通りすぎてゆく。この間、五分三〇秒。都会の生と性と死を描いて、いまでも、あれほど美しいシーンは見たことがない。それは、渋谷でなければ不可能だったろう。
ひとつ思い出したことがある。『ラブ&ポップ』が完成した直後、わたしは、庵野監督と、映画のメイキングを作っていたAV監督のカンパニー松尾、バクシーシ山下と共に座談会を開いたことがある。どんな話をしたのかも、どこで話をしたのかももうすっかり忘れてしまった。どこかで大いに飲んだことだけは記憶にある。そのとき、確かカンパニー松尾監督が、庵野さんにAV出演を頼み、いったんは引き受けた庵野さんが、結局断った、ということがあったような気もする。だが、いまとなっては、すべては夢のようだ。そして、いつしか、あのラストシーンの話になったと思う。
そうだ。わたしは、一度、渋谷川に下りたことがある。稲荷橋の下、暗渠から川が姿を見せる場所だ。四人の女子高生たちが胸を張って歩き始めるところだった。
わたしは、どうしてもその場所に立ってみたかった。そこからどんな風景が見えるのか確かめてみたかったのだ。
庵野監督たちに連れていってもらったのか、そのときは、みんなが酔っていて、結局後日になったのか、あるいは、わたしがひとりで行く羽目になったのか。その記憶も曖昧だ。
ただ覚えているのは、暗渠の中の暗さと静けさ、そして鼻をつく臭気だった。けれども、それは、そんなに不快な臭いではなかった。女子高生たちとは逆に、あの奥の方へ行ってみたい、と思った。あの中には、なにかがある。そんな気がしたのだ。
そこは約束された場所だった。たくさんの作家たちが、理由もわからないまま、そこについて書きたいと思う場所だった。
表面が、昼見える場所が、次々と変わってゆく建物が、どんなふうに見えても、その奥には、建物の遥か下には、巨大な暗い空間があって、あらゆるものを混ぜ合わせて流れ続ける地下の川があるのだ。
都会の喧騒の中にいても、耳を澄ませば、あなたにも、その川の流れる音が聞こえるはずである。
著者プロフィール/作家。明治学院大学名誉教授。1951年、広島県生まれ。横浜国立大学経済学部除籍。1981年『さようなら、ギャングたち』で群像新人長編小説賞優秀作を受賞しデビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎潤一郎賞を受賞。他の著書に『一億三千万人のための小説教室』(岩波新書)、『お釈迦さま以外はみんなバカ』(インターナショナル新書)、『ぼくらの民主主義なんだぜ』(朝日新書)など多数。