作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、宗教のジェンダー問題について。
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たいていの宗教は、かなり男尊女卑が入っている。キリスト教であっても、仏教であっても、イスラム教であっても、古代の男は女に厳しい。女というだけで人類の罪を背負って生まれたようなことを言われたり、女は不浄で嫉妬深くて修行に向かねぇからと門戸を閉ざされたり、逆らう女は打ってもよいとされていたり……宗教のミソジニーを挙げていけばキリがない。
それなのに、なぜ、女は信者になるのだろう。
仏教系カルト教団「オウム真理教」にも、女性信者は数多くいた。以前、富士山麓にあったサティアンで生活していた元信者の女性に話を聞いたことがあるが、一番驚いたのは、「ミスコンがあった」ということだった。もちろん水着審査という類いのものではなく、「誰が美人だと思うか?」というアンケートに信者たちが記入するもので、上位になった女性は教祖に「差し出される」のだとうわさされていた。視力に障害がある教祖のために、「この人が美人」と教えてあげるようなシステムだったと、元信者の女性は言っていた。そもそも信者の勧誘も、男性は理系、女性は“若くて美人”を獲得することが求められていた。また教団内では、女性性は徹底的に貶(おとし)められ否定され、生理を止める修行もあった。さらに、食事をつくる係は“処女”と決められていたという。そのように徹底的に女であることを貶められながらも、それでも女性信者たちは違和感には目をつむり頑張り続けた。
昨年亡くなられた哲学者の大越愛子さんは、1995年のオウム真理教の事件を機に、『女性と宗教』(岩波書店)を記した。宗教にひそむ性差別、性暴力問題を告発した名著だ。カルト化していく新興宗教の多くが一部の男性幹部によって支配され、女性たちが無償労働や献金など搾取の対象になってしまう構造の現実を、大越さんは警告した。