スラッガーとして名を馳せた藤井だったがプロ入りはしていない。青山学院大に進学して卒業後はサラリーマン生活へ。17年1月に49歳の若さで逝去した。

甲子園史上最高の二塁手」と形容された常葉菊川・町田友潤も高校野球ファンは忘れられない選手の1人だろう。甲子園に4度出場し、07年春の選抜で同校初の全国制覇を達成。08年夏の準優勝にも大きく貢献した。町田の最大の魅力は高校レベルを超越した守備力だった。二遊間、一、二塁間を抜けようかという安打性の打球を好捕して内野ゴロにする。身のこなし、球際の強さに加えて堅実。バックハンドでグラブトス、難しい体勢からランニングスローとプレーに華があり、実況が「セカンドに打ってしまえば望みはありません」とうなるほどだった。「高校球界の菊池涼介」とも形容されて将来を嘱望されたが、進学した早大を1年で中退。社会人野球・ヤマハで13年までプレーして現役を引退した。

 町田を視察していたプロ野球のスカウトは「もう少し肩が強ければなあとは思いましたが、守備は高校レベルで完成されていた。見ていてワクワクする数少ない選手でしたね」と評価する。

 プロの世界で彼らのプレーを見たい思いもあったが、その道に進まなくても人生は光り輝ける。彼らが甲子園でみせた活躍は今後も高校野球界で語り継がれるだろう。(梅宮昌宗)