個性派俳優・佐藤二朗さんが日々の生活や仕事で感じているジローイズムをお届けします。俳優の「スキルと協調」について。
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もちろんね。
周りは関係なく、自分でドリブルで持っていき、強引にでもゴールを決めなければいけないことはあると思っています。
ごめんなさい芝居の話です。
20代の頃、僕は大変に、もがいておりました。
ココにこんな芝居をする俳優がいるぞ。
こんなゴールを決められる俳優がいるぞ。
そのことに気づかれなければ、たくさんの才能あるクリエイターや、たくさんの素晴らしい演技をする俳優と出会えない。
何より、たくさんの芝居をする機会が与えられない。
そんな焦りに満ちた20代だった気がします。
上に書いた、自分でゴールを決めるスキルは、いろんなご意見があるとは思いますが、僕は俳優にとって、「時には」必要なスキルだと思います。
しかし、焦りに満ちた20代の頃に出会った舞台演出家の鈴木裕美さんに、そのスキルを恐らく充分に認めて頂いた上で、こう言われました。
「しかしお前、それだけだとダメになるぞ」。
当時、裕美さんホント怖かったので(飲み会では気さくなお姉さんでしたが、稽古場ではマジ怖かったんす)、そう言われた僕は意味も分からず、ただ、「はい」と頷いておりました。
でも、コレ、どの世界でも言えることかもしれませんが、注意や指摘を受けたことって、いくら生返事をしても、自分自身が腑に落ちなければ、真の意味では身にならないのかもしれません。
逆に自分が腑に落ちた時には、自分の中の深い部分まで浸透するような気がします。
なんとか芝居で飯が食えるようになった、30代後半だったか40代前半だったか。
本当にストンと腑に落ちたんです。
共演者、演出家、スタッフ、ロケーション…そういった周りの人と、周りの空気と作っていくことが、単純に「愉しい」と思えるようになりました。
周りに渡したり、周りから貰ったりするのが、「愉しい」し、変な話「ラク」だし、作品やシーンや役柄にもよりますが、往々にして、その方が「自分」のためにも「作品」のためにもなると、心底思えたんです。