性交がうまくいかなかった日には無念の思いがこみ上げ、「なんでできないの!」と責めるなど、治療を始めるまではなかった内容の喧嘩が続くようになった。「俺は種馬か?」「そこまでして子どもが欲しいのか?」という夫に対し、「プライドをかなぐり捨ててでも子どもが欲しい」の一点張りで雅代さんは粘った。次第にタイミング法の限界を感じ、愛情表現の延長線上では子どもは授かれないという現実と突きつけられているようで、辛くなった。
人工授精にはどこか抵抗を感じ、先延ばしにしていたが、そんな日々が2年経っても妊娠しないことから、雅代さんは36歳で不妊治療専門クリニックへ転院し、人工授精にトライ。ところが7回挑んでも妊娠せず、「もう体外受精しかない」と思うようになった。
体外受精は、治療費も精神的な負担も、これまでとは桁違い。それまで自分とは無縁の存在だと思っていたことから、進むには高いハードルがあった。だが、ここまできたら進むしか道はないと決心し、38歳で初めての体外受精に臨んだ。
雅代さんの中で、体外受精は“最後の砦”というイメージで、「体外受精まですれば、まず授かるはず」と信じ込んでいる自分がいた。医師からは、「38歳での体外受精の妊娠率が決して高くはないこと」「加齢によって卵子は老化し、数も減っていくこと」を告げられ愕然としたものの、妊娠への期待は揺るがなかった。だから1回目の体外受精があっけなく失敗に終わった時から、一気にメンタルが急降下。そこから長くて暗いトンネルに突入することになる。
「なぜ体外受精を先延ばしにしてしまったのか」「取り返しがつかないことをしてしまった」——卵子の老化や年齢による妊娠の確率などは無意識のうちに見て見ぬ振りをし、都合の良い情報だけを取捨選択してきた自分を責めた。
同時に、全神経が妊娠に集中する生活がスタートした。目覚めの基礎体温で一喜一憂することから始まり、漢方薬やサプリメント、週2回の鍼治療、はたまた迷信や神頼み――妊娠できない自分のからだは「あてにならない」と、外からの“何か”で妊娠に足りないものを補おうと精一杯だった。