東京地検特捜部は、7月26日以降、高橋容疑者宅や東京の電通本社を家宅捜索。AOKI側への捜索は、後まわしにした。
「贈収賄事件では、一般的に贈賄側、収賄側の捜索は同じタイミングでする。それを、高橋容疑者や電通を優先してやったというのは、それだけ高橋容疑者や電通の影響力が大きかったか、根深いものがあるということが透けて見える」
そう話すのは、元東京地検特捜部の郷原信郎弁護士だ。
焦点のひとつは、「みなし公務員」にあたる組織委理事という高橋容疑者の立場だ。
文部科学相経験者がこう指摘する。
「組織委というのは、トップは政治家で、ほかは霞が関の省庁、民間企業などからの寄せ集め。理事というのは、名誉職のような位置づけでもある。高橋容疑者がそもそも、理事という立場でAOKIと顧問契約していたことは疑惑を持たれかねず問題。ただ、何人も理事がいるなかで、AOKIがスポンサーになるように取り計らえるほどの権限があったのかどうか」
と微妙な立ち位置だったと指摘する。
前出の電通のAさんは、
「スポンサーの選定や公式ライセンス商品などのノウハウが組織委にあるわけがない。結局、電通からの出向組が中心になってやるので、実質的には電通がやっているのと同じだろうと。高橋さんは、電通に対して絶大な影響力がある理事。AOKIをスポンサーに押し込むことはできたのでは、との見方が社内でもされています。高橋さんの指示があれば黙ってやるしかない。電通の社員も特捜部の調べを受けており、そうした点についても聴かれているようです」
高橋容疑者は逮捕される前、AERAdot.の取材に、
「これまでいろいろ報じられているが、不正などない。便宜など図れるわけがない。AOKIとは契約に基づいてやっている」
と容疑をかけられていた点などについては否定していた。
高橋容疑者といえば、弟の治則氏はバブル時代「不動産王」として知られる存在だった。しかし、金融機関の破綻(はたん)で背任事件となり、東京地検特捜部に逮捕されたのが1995年。一審で有罪判決となり、無罪を主張して最高裁で争っていたが、2005年7月に亡くなった。