有田芳生氏(撮影:張溢文)
有田芳生氏(撮影:張溢文)
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 近年、ジャーナリストの有田芳生さんは、しばしば「反日」のレッテルをはられ、ネット右翼(ネトウヨ)からの批判にさらされてきた。

「特に(自身が)参議院議員のときは毎日のようにすごい攻撃だった」と、有田さんは振り返る。

 ところが、安倍晋三元首相銃撃事件を発端に、旧統一教会(現世界平和統一家庭連合)批判をするようになってからネトウヨからの攻撃がぴたりと収まったという。

 有田さんは「彼らも戸惑っているところがあるんじゃないかなあ」と、ネトウヨの心理を推察する。

 最近、いわゆるリベラル派は旧統一教会を「反日カルト」と位置付ける。それを攻撃する有田さんは「親日」というわけだ。

 ところが実際の旧統一教会の姿は「反共団体」である。東西冷戦時代、教団の実質的な政治部門である「国際勝共連合」は反共の旗を掲げる保守政治家と強く結びついてきた。

「それはもうぼくらにとっては常識なんだけど、若い人は知らないよね」と、有田さんは笑う。

 旧ソ連が崩壊してからはや30年。「反日」なら理解できるが、「反共」と言われても、あの時代の空気を知らない世代からすればピンとこないのがふつうだろう。

 そこで今回、かつて朝日新聞社が発行していた週刊誌「朝日ジャーナル」1987年2月27日号に掲載されていた記事「建国記念の日・奉祝派の亀裂 天皇と権力へのすり寄りに挫折した勝共連合」を紹介する。筆者は、同誌で80年代後半に旧統一教会の闇を追及し続けた有田さんだ。

 旧統一教会は反共を背景に、保守政治家だけでなく、なんと天皇にも近づいてきた過去を持つ。教団の複雑怪奇な動きを追った有田さんの渾身のレポートを、再びお届けする。(編集部・米倉昭仁、以下の本文にある所属、肩書きなどはすべて当時のまま)

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 2月11日、中曽根首相も出席して開かれた建国記念の日を祝う国民式典(主催・財団法人「国民の祝日を祝う会」)は、式次第をめぐって式典数日前までもめていた。

 それは、高松宮死去で皇室が喪に服していたため、最後の万歳三唱が適当かどうか、意見が分かれていたからだ。

 万歳の音頭を誰がとるかも、最後まで決まらなかった。一時は西武ライオンズの清原和博選手に決まりかけ、西武球団の堤義明オーナーも賛成するという場面もあった。これは、この式典を自民党サイドからすすめてきた中山正暉国民運動本部長が、大阪の地元で清原選手の後援会長をつとめていた縁によるものだった。

 清原案が球団内の反対でつぶれ、万歳三唱の人選は、その後、相撲の横綱千代の富士の名前もあがったが、結局タレントの西郷輝彦氏に落ちついた。

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