パフォーマンスするマドンナ(2022年)/アフロ
パフォーマンスするマドンナ(2022年)/アフロ
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作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、フェミニズムについて。

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 マドンナのインスタグラムを時々見ては、胸を一人ざわつかせている。

 ボディーコンシャスな服で胸を強調し、セックスを直接的に表現する腰つきで踊り、分厚い唇を挑発的にカメラに押しつけ、股を大きく広げ口を半開きにするマドンナ、64歳。1980年代と変わらずに、セックスを過剰に表現しようとするマドンナに対して、「優雅に年を取ってほしかった」「これ以上、見たくない」という冷ややかな声は決して少なくなく、マドンナは醜形恐怖症ではないかと指摘する声も年々大きくなっている。

 60代は60代らしく……とは全く思わないが、それでも、世界史上最も売れた女性アーティストですら、女が年を取るのはこれほど難しいのかと、マドンナがインスタグラムに新しい投稿をする度に、穏やかな気持ちではいられない私もいる。

 マドンナは何一つ変わっていないというのに、なぜ悲しい気持ちになってしまうのだろう。

 80~90年代、マドンナは性産業で働く女性やマイノリティーたちの代弁者のように存在していた。ボンデージを身にまとい、開脚した状態で激しい上下運動を見せる姿からは、セックスを恐れず、性的欲望の対象になることを自ら選択し、それ故に自由であることを世界に発信していた。マドンナほど、セックス=パワーというメッセージを発信した女性アーティストは他にいない。90年代に女性向けバイブを売り始め、セックスにポジティブでありたいと仕事を始めた私だって、確実にマドンナの影響をどこかしら受けているはずだ。

 それでも今はどうだろう。マドンナはマドンナであることを貫いているだけだというのに、若い男とのキスや、腰を激しく振るインスタグラムから感じるのは自由やパワーというよりは、自傷行為に見えてしまうのはなぜなのだろう。

 イギリス人フェミニスト、シーラ・ジェフリーズ氏による『美とミソジニー』の日本語版(慶應義塾大学出版会)が、今年7月に出版された。西洋基準の「美」が、いかに男性のファンタジーによって創られているのか、いかに女性の人生を厳しく拘束するのかを検証する内容だが、ここにマドンナが世界に与えた影響が厳しく批判されていた。

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マドンナ的生き方は女性を解放したのか