出演した綾瀬はるかさんでさえ「あんまり観たことのない作品で、じわーっと後からあーっと思い出すような映画」(公開直前イベント)と吐露していたくらいで、ストーリーではなく映像体験自体が「記憶と再生の物語」になっており、すぐさまコメントできない。昨今はコメントできないということを自分ではなく映画のせいにする傾向があり、早々に「誰も観ていない、つまらない映画」として片付けられてしまったようなのである。
ちょっと、待ってください。
私はそう訴えたい。原作者として言わせていただくと、この映画は観客にこう問いかけている。
あなたは泳げますか?
タイトルの「はい、泳げません」とはその回答例であって、みなさんはいかがでしょうか、と問うているのではないだろうか。
陸上生活を送る私たちにとって「泳げる」「泳げない」はさしたる問題ではないように思われがちだが、実は皮膚を一枚めくると、私たちの体内には水中での行動様式が潜んでいる。例えば、泳げない人は何かにしがみつく。私などもいきなり深いプールに入ると足が着かなくてパニックに陥り、コースロープなどにしがみつく。藁をもつかむ勢いなのだ。これは深層心理のようなもので、泳げない人はいつも何かにしがみつきたくて堪らないのである。
この映画の主人公、泳げない小鳥遊(たかなし)雄司(長谷川博己)も常に何かにしがみついている。いや、しがみつきたいのだ。バタバタした演技が目立つかもしれないが、これはしがみつきの表現なのである。一方、元妻の美弥子(麻生久美子)は「泳げる人」である。スイスイと猛スピードで泳げるので夫の雄司を見捨てて先に進んでしまう。基本的に泳げない人はしがみつくので離婚しないのだが、しがみつこうとしても美弥子のスピードに追いつけず、ふたりは離婚することになったのである。その点、新しい恋人の水野奈美恵(阿部純子)は「泳がない人」。泳げるか泳げないかは別として泳がない。浮き輪のような人で、それゆえ雄司は安心してしがみつけるというわけだ。