『沖縄という窓』という本が今年、岩波書店から出版された。雑誌「世界」で2008年から、3人の書き手が沖縄から沖縄と日本を語り続けてきた、貴重な「定点観測」の一冊だ。著者の一人、山城紀子さんは、1974年に沖縄タイムスに入社し、ジャーナリストとして女性たちに道を切り開いた。性暴力問題を発信し続けてきた。1981年生まれの親川志奈子さんは、琉球民族独立総合研究学会の共同代表であり、研究者として大学で教え、放課後児童クラブの運営もしている活動する思想家だ。松元剛さんは、琉球新報で記者として沖縄を見つめてきた。
世代も専門も違う3人が、月に1度、沖縄に立ちこの社会を記し続けた14年間の記録は、沖縄から見た日本の記録でもある。沖縄の歴史を知ろうとせず、戦争を忘れた日本人が沖縄をどのように見つめ、どのように踏みにじってきたのか。加害の歴史は根深く、加害者は底抜けに鈍くいられることで、加害者であり続ける。それは、「沖縄に寄り添おう」と本土から訪れるヤマトンチュにも言えることだ。親川志奈子さんはこう記す。
「『沖縄の運動に寄り添い』沖縄人を動かすのではなく、日本人という立場で踏ん張り、日本人としてやるべきことを実行していってほしい」
200万人超もフォロワーがいて、毎日のようにネット上でその名が流れてくるひろゆきという人の基地反対をする人々に対する暴言が、波紋を広げている。何十年に及ぶ基地被害に抗議する人々が放つ「ヤンキーゴーホーム」という声を録音し、“得意げに”「平和活動家はヘイトスピーチをしている」という人々の姿が本書には記録されているが、ひろゆき氏がやったのは、まさにそのようなことだろう。「座り込みの定義」にこだわり、座り込みの背景にある歴史を敢えて見ない。表層を切り取り、差別の構造を理解せずに、冷笑する。幼い理屈を恥じずひけらかし、無知を剥き出しにすることで日本は底抜けに壊れていくのだと危機を覚える。
まずは知ることでしか、始まらない。すでにこの社会には、沖縄を生きる人々が積み重ねてきた言葉、その闘いの歴史が十分にある。座り込みをしてきた人々が見つめてきた景色を、「わたしたち」は真剣に想像すべきだ。それが本当の知というものなのだと思う。親川志奈子さんの言葉をここに紹介したい。
「私たちは日本語を覚え、日本の方を向き続けてきました。でも、沖縄が日本を変えることはできない。日本を変えるのは日本人であるべきです」