ミサワホームの創業者である三澤千代治氏は、日本大学工学部建築学科で「木質パネル」工法の研究に没頭した。住宅の床や壁などをパネルとして工場で製作し、それを現場で組み立てるプレハブ工法の一種である。
南極観測の第1次隊には三澤のすぐ上の先輩で大学院生だった平山善吉氏が参加し、その後、木質パネルを多用した南極基地建設に尽力した。
つまり、ミサワホームは木質パネルを通じて会社設立当初から南極とのつながりがあり、それなりの技術的な裏づけを持ち合わせていた。
「当然、構造計算を行い、実験を行ってつくったものを南極に持っていきました。とはいえ、現在のような環境試験室があるわけではないので、現地に建物を持っていったときに実証試験をやったんです」
南極の自然は想像を絶するほど過酷だ。
例えば、烈風に耐えられるように設計した風力発電の風車の羽根が折れて吹き飛んでしまうほどだという。
「そんな場所ですから、最初からしっかりと確立したものを南極に持っていって、そこで暮らす、というよりもフロンティアを切り開く、という感じだったんです。そんな志の高い人たちが南極に行っていました」
ちなみに、平山氏は95年に日大エベレスト登山隊総隊長として未踏だった北東稜からの登頂を目指し、それを成し遂げた人である。ただの学者ではない。
秋元さんも2009年、第51次隊員として南極で越冬した経験を持っている。
地上の技術を月面に応用
そんな秋元さんは将来の月面基地づくりについて、夢物語を一切語らない。
「われわれは月に向けての技術開発は行いません。月面での技術をつくっても、それを使えるところは月面しかないですから。そうではなく、地上の住宅技術を応用・転用し、宇宙に持っていったほうがずっと効率がいい」
今回、南極で行う実証実験はあくまでも実験であり、そのまま月面基地づくりに結びつくものではまったくない。ただ今後、月面での有人拠点の建設は必要に迫られて進んでいくだろうと、秋元さんは予測する。