「これまでミサワホームは南極基地の建物の製造や管理をさせていただいている。たまたま、社内でぼくがそのリーダーをやっていたので、この提案を地球の極限の地で試せないだろうか、と思って、JAXAに言ったら、『面白いね』という話になった」
さらに、極地研からも「地球環境を探るにあたって、『ドームふじ基地』を夏の間だけでも再稼働させたい」と、前々から相談されていた。
「であれば、居住ユニットをつくって、南極に持っていってもらい、実証実験ができたらいいね、と。その話がまとまったのが19年です」
会社設立の翌年に南極へ
1969年、人類が初めて月面に降り立ったアポロ計画は、巨大な国家プロジェクトだった。それとは対照的に今回のアルテミス計画はNASAが主導するものの、スペースXやロッキード・マーチン、エアバス、トヨタなど、多くの民間企業が参画している。
アルテミス計画の一翼を担うJAXAも、NASAと同様に民間企業の力を借りようとした。ところが、それまでJAXAとつき合いのあった企業は宇宙関連だけだった。それでは本格的に月を目指すのは難しいと判断したJAXAは、「宇宙探査イノベーションハブ」を通じてさまざまな企業に声をかけた。
「まずはゼネコンに声がかかって『宇宙エレベーター』『宇宙ホテル』などの話が出ました。ただ今後、月面に人が住むところをつくるという点では住宅メーカーにも入ってもらったほうがいい、ということで弊社にも声がかかった。地球の極限の地、南極で基地建設を成し遂げてきたミサワホームであれば、宇宙というフロンティアでその経験を生かせませんか、という話でした」
ミサワホームが南極の昭和基地建物を受注したのは68年、第10次隊からだ。それはなんと、会社設立の翌年だった。
「そういう意味では駆け出し、今でいうベンチャー企業でした」
昭和基地の建設は57年、第1次隊によって始まった。当初、基地建物はゼネコンの竹中工務店が受注した。
「基地の建物建設といっても、住宅、要するに隊員が住む宿舎を建てることが大きな目的でした。であれば、住宅メーカーのほうが適しているだろう、ということになった。それで、第10次隊のときに入札して、受注させていただきました」
創業者の南極との縁
しかしなぜ、ミサワホームは会社設立直後にもかかわらず、南極観測という国家プロジェクトに参画することができたのか?